専門演習

参加者の皆さん、こんにちは。

ヴィム・ヴェンダース監督『NOTEBOOK ON CITIES AND CLOTHES』(邦題『都市とモードのビデオノート』)を観て、改めてどうでしたか。中古品だから仕方のない面があるのですが、ちょっとサウンドノイズがひどかったのは残念でした。が時間がたつにつれ不思議とノイズもまたヴェンダース独特の映像にマッチしているかなと感じた人もいたかもしれません。それにしてもノイズと英語の両方と闘いながらのちょっと疲れる鑑賞でした。

授業の中で話したように、ヨージ・ヤマモトという人間に関しては、映画の中でスタッフに囲まれて仕事をする彼の姿や彼自身がヴェンダースの質問に導かれながら、時には自由に逸脱しながら語る興味深い言葉から、よく分かったと思います。根深い無国籍感覚のこと、近所の女たちの服の仕立て仕事で家計をささえ彼を育てた母のこと、いつも仕立て直し中の衣服に囲まれて生活していた幼少期のこと、戦死した父や戦友たちの「戦い」を彼はどこかで引き継いでいること、自分はファッション・デザイナーではなくドレス・メーカーにすぎないこと、作ること、手作業が好きなこと、人間の体にフィットする服は「非対称」でなければならないこと、未来は信じないこと、過去を引きずりながら生きている現在にはやく終わりが来ないかと感じていること、などなど。ひとつひとつがさらに掘り下げるに値するテーマでしたね。

他方、ヴェンダースの編集術もなかなか興味深いものでした。ヨージ・ヤマモトの「思想」に関して、比較的一般的な事柄については、決して流暢とは言えない英語で語らせ、最も肝心なところは日本語で語らせ、しっかりとした英語字幕をつけていました。映像に関しては、静かな時間がながれるインタビュー映像とそれとは対照的なTOKYOとPARISというふたつの無国籍的な都市の昼と夜の両方の映像(日本の騒音ならぬ騒色にみちた景観が実は色が消える夜に見違えるほど美しく写ることに驚きましたが)を時に巧みに併置しながら、正にタイトルにある通り、「都市」と「服」という人間にとっての基本的な造形であり表現であるものの本質的な関係を浮き彫りにしようとしているのが感じられたと思います。ヴェンダースにとってはそのような認識を「服」を通して語り合えるデザイナーはヨージ・ヤマモトしかいなかったのかもしれません。

ところで、私がいつも感心し心惹かれるのは、ヴェンダースも何度も口にしていたクラフツマンシップです。職人の熟練した技能。時に素早くしかし精確に動く手、また時には素材に対して限りなく優しく触れる手の仕事。ヴェンダースがヤマモトの非常にオープンな仕事環境に触れながら、秘密にしなくていいの?とショービジネスの世界に対する姿勢を尋ねた場面で、ヤマモトは、そんな必要は無いよ。見たってだれもコピーなんかできないから。とあっさりと答えていました。そこには熟練と熟練故に可能になる飛躍の両方に対する静かな自信が垣間見えました。

最後に、ものを作ることを通して、ヴェンダースの場合は「映像という言語」によって、ヤマモトの場合は「服という言語」によって、深く突き動かされながら、国境とか国語とかいう境界をやすやすとではないにしても超えていると思います。何かに集中しているときに私たちが降りていく場所にはどんなボーダーも存在しないのです。その体験を訓練に変えて、自分を鍛えていけば、どこへでも行けるし、どこででも生きられる、そういうことだと思います。


次回は「変身」をテーマに身体そのものの芸術、冒険の一端に触れる予定です。