このところ、僕が初めてインターネットを体験したときの興奮は一体何だったのかと考えている。インターネット体験と言っても、正確にはウェブ体験のことで、たしか1996年にブラウザのネットスケープ1(?)で坂本龍一さんのsitesakamotoをブラウズした時の衝撃は今でも忘れられない。すでにFlashが使われていて、その「動く絵」に本当にびっくりしたものだった。その衝撃的興奮の余波の中で、当時僕の研究室に出入りしていた京都精華大学から国内留学していたH君や彼の友人でチャリンコ日本縦断の折に立ち寄ってくれたN君にほだされて、年甲斐もなく、HTML,CSS,JavaScript,Flashを独学して、自前のサイトを本格的に公開したのが1999年だった。あの頃は本当に夢中だった。寝る間も惜しんで、Perlにまで噛み付いていた。ゼミの学生にまで、またウェブの話ですか?とあきれらるほどだった。
あれは、たしかに新しいコミュニケーションの誕生に対する興奮だったのだと、今にして改めて思う。それまでは考えられなかったコミュニケーションがこれから始まる、と期待したのだろう。それは、経済行為と同型の意味交換的コミュニケーションとは異質な、「生命」を受け渡しするようなコミュニケーションのイメージだったように思う。しかし、インターネットの13年の歴史はそのような僕のある種の希望を一度は完全に断ち、そして最近再びその希望に灯がともったと思ったが、「やはり違うかな」という疑心が生まれた。そのあたりのことについてきちんと語ってゆくことは僕の大きな宿題だと思っている。
他方で僕は、1997年に詩人の吉増剛造さんと衝撃的な出会いをした。その詩業も含め吉増さんの言動に、正に「生命」を丸ごと受け渡しするかのようなコミュニケーションの模範を深い驚きとともに垣間みた。それまでも、話し言葉に関しては、「意味」よりも「音」の観点からの関心が強かった。対話の重要性が話題になるときでさえ、意味や理解よりも音にかかわる側面に興味が向いた。どこかで唄や音楽につながる言葉の「音」の側面に感応していた/いるのだと思う。そして書き言葉に関しても「文字」そのものの側面に強い関心を抱いてきた。おそらく、音や文字そのものに孕まれる「生命」としか言いようのない何かが受け渡しされるいわば「遅い」コミュニケーションに惹かれる傾向が強いからなのだろう。
「遅い」コミュニケーション。
速い、速すぎるコミュニケーション、情報を消費するだけのように思えるコミュニケーションを本能的に警戒しているのかもしれない。急ぐ必要はないし、急がされる理由はもっとない、と思ったりもする。遅い/速いの違いは、もちろん物理的な速度ではなく、見かけでは計れない主観的な絶対的な速度感である。こうしてブログをやりながら、ずっと考えて来たことのひとつも、ブログによるコミュニケーションの「時間」のことだった。ブログに向かっているときに一体自分はどんな時の流れを生きているのか。無闇に急ぎ、急がされてはいないか。答えはまだ出ていない。
そんな関心の脈絡もあって、この九ヶ月間今福龍太さんの「群島-世界論」を「コミュニケーション論」として読み継いで来た。直前のエントリーで一部引用して言及した「浦巡りの奇蹟」(『すばる』3月号)の他の箇所では、私も大好きなラフカディオ・ハーンを深く深く読み込んだ見事な成果が瑞々しい文体で表現されていることに驚いた。今福さんはハーンが遺したテクストの「底の底」にまで耳を澄まして「耳の人」ハーン、すなわち「日本語の文字世界への参入を拒みつづけ、口承世界にとどまって音としての日本語に執着した」ハーンの「耳」が聴き取った「日本」を驚くべき地平において再発見しているのだった。(pp.249-252)その驚くべき地平についてはいずれ改めて書こうと思う。
ハーンの「耳」が聴き取った「日本」を知るには、日本語の文字(漢字かな表記)世界に浸かってしまっている者としては、一旦それをかいくぐって日本語の「音」世界にまで近づかなくてはならない。その見事なアプローチの一端を今福さんは次のように書いている。
ウラ、という神秘的な音に、このところ私の耳はとり憑かれている。そして音を媒介にして音と意味の連鎖を文字テクストのなかに探り出す衝動、という意味においては、私の「耳の眼」もまた、ウラという音を持った文字にとり憑かれている、とつけ加えるべきだろうか。ウラという音は、おそらく日本語におけるもっとも深く豊かな意味の強度と地平の広がりを抱えた、始原的な音の一つであるにちがいない。
たとえば、心と書いてウラと読む。この万葉以来の用法からすぐに気づくことは多い。心悲しい、心淋しい、心思い、というときのウラは、意識の内奥、すなわち表に見えない心中の微妙な機微にかかわる音=ことばである。「心安(ウラヤス)」とは、心中安からな、という意で万葉集のそこここで見える用法であるが、地名ではこれを「浦安」と書いたりする。ウラという音をなかだちに、心が浦に通じていることはあきらかだ。(pp.248-249)
こうして拓けてくる日本語の最古層に降り立たつことによって、日本語によるコミュニケーション自体の多重性、多層性にも気づくことができ、「遅い」コミュニケーションを多方面に生かす道も拓けてくるように思った。また、例えば、「心」に関する哲学的な諸問題を日本語でちゃんと考えることもできるようになるのではないかと思う。"mind"の訳語として当てられる「心」や「精神」という文字が運ぶ近代的な概念ではとうていとらえきれない「こころ」の広がりと深さにも到達できるような気がしている。