奄美への道連れ:奄美自由大学体験記2

奄美自由大学には、迷った挙げ句、次のものを道連れにした。

アーキペラゴ―群島としての世界へ

アーキペラゴ―群島としての世界へ

機―ともに震える言葉 (りぶるどるしおる)

機―ともに震える言葉 (りぶるどるしおる)

そして、

これは今年1月から「すばる」に連載中の今福龍太さんの「群島-世界論」10回分のA3に拡大したコピー。その一番上には、たしか6月号に掲載された今福龍太さんによって奄美に誘われたル・クレジオの貴重な奄美体験記が読める「特集」を重ね、KOSACこと奄美在住の人柄もとても素敵な凄い写真家濱田康作さんによる、白波たつ冬の奄美の海を眺めるル・クレジオの後ろ姿が斜交いに撮られた写真を「表紙」に見立てて、大きなクリップで挟んだ。その大きくかさばるコピーの束は厚さ2センチ弱になり、荷物の出し入れの大きな支障になったが、連れて行かないわけにはいかなかった。結局、そのコピーの束を捲ることはなかった。しかし、鞄を開けるたびに眼に入る表紙の写真にKOSACの視線とル・クレジオの視線がガジュマルの古木のように絡まり合った複雑な印象を受け、それを一瞥することは、私にとって今回の奄美探究のこの上ない指針になったのだった。

今回奄美往復で利用した空の便はすべてJALだった。奄美は後に書くことになるかもしれない複雑な理由から国内の主要な観光スポットから微妙にはずれていることもあり、もう少しでマイレージが使えるANAは利用できなかった。しかしそのおかげで、久しぶりにJALの機内誌「SKYWARD」に目を通すことができた。そしてそのなかで小説家吉田修一さんの旅行記ポルトガルの空、最果ての岬に。」が非常に印象に残った。吉田さんは自身行ったことのないリスボンを舞台にした小説「7月24日通り」(映画「7月24日通りのクリスマス」が11月公開予定)を書いている。リスボンの市街地図を「見る」ことの中に立ち上がってくる「想像」だけを頼りに書かれた、それは小説だという。そのこと自体が非常に興味深いことだが、ともあれ、吉田さんはそんな小説を書いたことも一つの契機となり、現実のリスボン、そしてポルトガル最西端、ということはユーラシア大陸最西端の岬「ロカ岬」に導かれたのだった。吉田さんにとっては小説「7月24日通り」の執筆においても、そしてポルトガルへの旅においても、あの詩人フェルナンド・ペソアの「わたしたちはどんなことでも想像できる。なにも知らないことについては」という言葉が「強い味方」になったという。私はそのペソアの言葉は陳腐だと思った。というのは、むしろより良く、より多く知ることによって、安易な想像から解放され、もっと厳しい本物の「想像」とでも言えるものの秘密に迫りたいと思っていたからである。吉田さんもまた旅の最後には、ロカ岬の突端に立ったときの言語を絶する体験について、ペソアの言葉を超える吉田さん独自の言葉に到達していた。「この恐ろしいほどの空白を前に、人は想像することができる。想像することで、この目の前に広がる空白との攻防に勝利できるかもしれない」。「恐ろしいほどの空白を前に」した「想像」の正体は何か。それは「想像」という言葉に寄りかかっていたのでは見えて来ないものだろう。そんなわけで、私は「恐ろしいほどの空白を前にした想像」の正体を見極めるという興味深いテーマをJALの機内誌の吉田さんの文章から拾い上げて、奄美へのもうひとつの道連れにしたのだった。