若い詩人からの応答:奄美自由大学体験記8(+美崎さんの「時間はない」説)

奄美自由大学で久しぶりに再会した若き詩人、現在札幌で古書店「書肆吉成(しょしよしなり)」を開店準備中の吉成秀夫君から、嬉しいトラックバックがあった。それは私の奄美自由大学体験記に対する、とても深い、遠い谺のような応答で、無意識を強烈に鋭く照射する傷だらけの真摯な美しい詩=言葉だった。「心の月ノ傷跡」と題されたその詩には、私が軽卒に通り過ぎた径(みち)、場処の記録が正確に刻まれていた。震撼させられた。(吉成君、引用させてもらいます。)

心の月ノ傷跡

ぼくは奄美に行った/奄美に「行く」なんてできるの?
ボクはそこでさまざま光景を見た/すべては影かマボロシか、あるいは・・・
音を、音楽を、声を、聴いた/海流は早く強い
言葉たちに耳を傾けた/うずまきがそこで幽かに傾いただけ
それを憶えている。触れようとしたこと。
身体に刻もうとして、触れようとして、手をのばした。
触れたこと。そしてすぐ消えていったこと。手のひらで渦巻く旋風?

ぼくは奄美を走った/ハンドルとアクセルを操作した
風景は写真と二重写しに回転した/ダッシュボードに差し出した「カピパラ」
反射する風景/反射する心
ぼくはそこでさまざまな言葉の交響を聴いた/聴いた聴いた聴いた

それを憶えていない。耳の奥で響きとなった海鳴り。
道おしえが教えたその道の経路は島のどこを巡っていたのか?
巡ったこと。恵んでもらったこと。何を憶え、何を忘れた?

ぼくは忘れた/名刺を、お礼を、恐れを、測量を
ぼくは忘れた/一切を、nothingを、忘れたことを忘れることを
ぼくは忘れた/名前を、顔を、手を、そして足の裏を
ぼくは忘れた/のかもしれない、そんなに大切なものを忘れておいてなお、

墓場の傍に川が流れ、枕もとに立つ詩人の影、顔は見えない、白い閃光を放ち口が開く
未来の本の夢、刹那の鳥影が斜めに走り、波と坂が三線の律動と声の波動にとり憑く、
満月に天秤担いだ農夫さん。この眼に天秤担いだ農夫さんが見えるのか!
月光が夜空を白くした島を/車に乗せて走る、島の教え、その優しい優しい響きを聴いた

島の教えは謎だった。答えは当分見つかりそうにない。
ただ泳ぎを覚えるために、おぼれようとしたのか。
忘れてもいい。
泳ぎを忘れて、海に入ってゆけばいい。

島でずっと歩きを困難にさせていた、あの足裏の痛みはいったい何だったのか?
忘却とひらめき 一瞬の天啓 忘れの奥底に眠る惑星ノ傷跡

すべての謎を天秤に担いで農夫さんは見つめて/見つめられて白く月に光る
浮かぶ中空 走る車 本の夢 飢え 渇き 不安 恐れ 翳り 絶海の果て
に島を夢見る 教え 学び 樹 見たことのない樹 謎 本の謎に囚われる
さまざま方角にむかって、西へ、東へ、北へ、南へ、
天空へ、底へ、未知へ、ウラへ、歌へ、写真へ、映像へ、奄美

奄美のことを書いたわけでも無い/奄美のことを「書く」なんて・・・
ただ言葉が浮かぶとおりに打刻した。自分の名前も忘れた。
一切は誰かの独り言のマボロシ−−

「記憶、記録、」と書いているわたしが、実は頭の片隅にずっとそっと供えるように置いていて、そのうちモノになってしまったような言葉がある。

記憶の彼方へ

映画『ウィトゲンシュタイン』と『BLUE』をこの世への最後の置き土産のようにしてエイズで逝ったデレク・ジャーマンが死期迫る中で、息も絶え絶えに、しかし信じられないほど軽やかにあることを巡って語りつづけるとても印象深いインタビューフィルムがあって、そのビデオのタイトルが『記憶の彼方へ』だった。ジャーマン個人は彼の記憶の彼方へ旅立ったが、彼の残した記録(映画)を含めて「記憶の彼方」という言葉が私の記憶の此岸の境界にある。

そして他方、私は祖父母、父母、叔父の記憶の一部の記録(写真)をすべて再生させ、忘れようとして来た記憶をすべて想起するために何かをしようとしている。「供養」?「忘却」?

「心の月ノ傷跡」を読んで、記憶の「彼方」のことを考え始めていた。

と、書いた矢先に、美崎薫さんから、途方も無いコメントが寄せられた。「時間はない」と要約できるその恐るべき内容に、私は、しかし、深く、慰められた。なぜなら、祖父母、父母、叔父はいつでも「そこ」にいると感じ始めていたからだ。