幽霊って何語を話すんでしょうね:奄美自由大学体験記16

奄美自由大学から宿題として持ち帰ったことは多い。その中の一つに、言語哲学入門の受講生のranさんも随分気になったらしい「ゴースト」に関わるフランスから飛んで来た詩人の関口涼子さんからの質問があった。私の記憶へのこだわりに強い関心を示した関口さんとは巡礼の合間に幾度か話しこんだのだった。日本語とフランス語の「間」という正しく「ゴースト」のような時間空間で格闘を続ける関口さんらしい新鮮な視点からの質問が矢継ぎ早に浴びせられた。その中でも思わず私の中の何かが飛び上がったような気がしたのは「幽霊って何語を話すんでしょうね?」という飛び切りチャーミングな質問だった。Good question!

それは何語でもない、あなたが書いているような「詩の言語」ですよ、なんて気の利いた回答はその時できなかったけれど、その周りをぐるぐる回るような会話を楽しんだのだった。

私にとってはまったく意味不明の奄美の諸方言もまた幽霊の話す言葉だったのかもしれないと今は思う。意味の回路から隔てられると、諸感覚が一気に共同してフル活動し出すことを、1年間のアメリカ滞在でいやというほど経験させられた、というか、どこか楽しんでもいた私は、まさか一応日本国内である奄美大島アメリカの追体験のようにして同じ体験をすることになろうとは想像していなかった。私が「共感覚ってあるでしょう……」と言い終わらないうちに、さすがに詩人の関口さんは咄嗟にすべてを悟ったかのような表情を見せたのだった。その悟りの内容を聞き出す間もなく、キャラバンが再開して、結局「幽霊語問答」はまさしく「ゴースト」な「間」に宙づりになったまま、奄美大島での奄美自由大学は終わったのだった。しかし、私の中では奄美自由大学はずっと続いている。同じように宙づりになった宿題がいっぱいある。