寄物(よりもの):奄美自由大学体験記14

少しずつ奄美の精霊のパーワーが落ちて来ているような気がする。日本の邪気に圧され気味だ。いけない、いけない。ここが踏ん張りどころ。記憶を想起することは本当に難しい。島尾敏雄さんは半世紀前に「毒素」という強烈な言葉で表現したけれど、現在も、いい意味でsomething happensな感覚を覚えること、あるいは新鮮な驚きを体験することを抑圧する空気が蔓延していると強く感じる。それは仕方のないことだ、と割り切るしかないのだろうか。仕事のため、金のために、は。そうではないと思う。問題は仕事と金の中身だ。単に、アイデア不足と、歪んだ富の再配分システムを放置している知的怠惰のつけが回って来ただけではないか。もう少し気持ちのよい環境を、相互に束縛しあうような息苦しい体制ではなく、茂木健一郎さんがどこがで書いていたような相互にスペースを与え合うような風通しのよい体制があちらこちらにできれば、日本はきっとよくなるはずではないか。そのヒントはネット上に溢れていると思う。

危機はマイナスに受け止めると対応はますますマイナスの方向に拍車をかけて落ちるところまで落ちるしかない。危機をプラスに受け止める度量の中からしか、発展的な展望はけっして拓けない。そんな気が強くする。その時に役立つものこそ、想起の力なのではないか。忘れていることを思い出すこと。アイデアは無から湧いてくるものではありえない。美崎薫さんが実証しているように、「未来」は「過去」に胚胎している。

アマミへの「道連れ」と「寄物」の数々(一部)

奄美自由大学で私が感動したものはいっぱいあったが、その中で若い参加者というかスタッフといっていい人たちの熱意と行動力には、本当に心動かされた。そして彼らが時間と手間をかけて精魂込めて手作りした三冊の「教科書」は私の宝物になった。手作りの本、冊子。生まれたばかりの赤児のような瑞々しさと脆さを湛えたそれらの本は、私の手の中で、高性能記憶想起装置のように機能したのだった。そこには沢山の人たちが寄物のように置いて行った宝貝のような言葉が詰まっていた。今でも、それらのつつましい佇まいの冊子たちを広げると、そこには奄美大島の汀が現前し、そこがスクリーンのようなって次々と想起されるイメージが投影されるかのようだ。時に、においの記憶までが立つ。