写真の倫理とブログの美学:『横浜逍遥亭』の場合

『横浜逍遥亭』の中山さんが記事に必ずそっと添えるように掲載なさっている写真をいつも感心して見ていた私は、写真の「意味」を知ろうとして、『横浜逍遥亭』の中山さんに要らぬ催促をしてしまった。私はついつい写真の「向こう側」の意味や背景などを知ろうとしてしまう傾向が強い。それに対して中山さんは見事に痛快な「ノン」を突きつけてくださった。爽快だ。写真が写す「真」はあくまで「こちら側」の被写体の「フォルム」、色と形の面白さにこそあるのだ。私はまた勉強させられた。

形と色の面白さに心が動いたときに、そうしたフォルムが写真に昇華してくれたらいいなと思ってシャッターを押しています。フォルムそれ自体が重要なので、写真の背景や意味は僕の頭からは100%消えています。

そしてそのような写真に対する見事な姿勢、写真の倫理といってもいい姿勢は、中山さんのブログに対する絶妙なバランス感覚、ブログの美学といってもいい姿勢に連動していると感じた。

このブログはハンドルネームではなく本名を使って書いていますが、ブログを僕にとっての非日常の場所にとどめておきたいという気持ちは幾分なりとも働いています。そんなことから、仕事の話や自らの生活に密着した話題は意識的に話題に上るのを遮断していたりもしています。写真は僕にとってブログの非日常性を高める重要な小道具なので、そういう意味でも、日常から離れたフォルムでこの場所を飾るのを密かに楽しんでいるのです。

中山さんの姿勢は、私とはある意味で対照的だ。しかし、だからこそ非常に面白いし、惹かれるのだと改めて思った。