創造的な生き方

梅田望夫さんが私のエントリーを取り上げてくださったことを中山さんが知らせてくださった。本当に驚き、嬉しかった。
2006-11-18「ショックと感銘に襲われた韓国少年とのやり取り」

梅田さんがフォーサイト誌9月号「シリコンバレーからの手紙122 ショックと感銘に襲われた韓国少年とのやり取り」のなかで、私が10月1日に書いたエントリー「言語の壁を乗り越える15歳」を取り上げてくださったのだった。非常に嬉しく、身に余る光栄である。

私のその文章は、韓国語訳されたばかりの『ウェブ進化論』を読んで感銘を受けた韓国の15歳の中学生の少年rokengalan 君が、梅田さんのブログに、翻訳機を使って日本語に翻訳した言葉をコメントしたことに対する「二重の驚き」を時代の新しい息吹を感じるという文脈で書いたものだった。そのエントリーに対して早速梅田さんから感謝のコメントをいただいたときに、私自身『ウェブ進化論』に感銘を受けて、このブログを本格的に始めたことに思い至り、これはまだ短いが私のブログ人生の最初の大きな節目だと感慨を覚えたのだった。

梅田さんが引用してくださったのは次の箇所である。

rokengalan 君のコメントに私は二重に驚いた。そもそも91年生まれの15歳が見ず知らずの言葉も通じない外国人の著者にカジュアルに直接メッセージを送ること自体に驚き、さらにrokengalan 君が、『言葉の壁』を『翻訳機を通じて』軽々と飛び越えていることに、へー、やるもんだなあと、本当にびっくりした。(中略) 翻訳精度は二の次にして、とにかく、言葉の壁というか異言語間の森をかいくぐって、コミュニケーションをとろうとする若い世代がどんどん増えれば、そのことが、グーグルの革命にとっての最大の問題でもある『言語の壁』問題に、思わぬ方向からのソリューションが到来するかもしれない。

これを引き取って、梅田さんは次のように書いている。

この文章は、私が受けた軽いショックの中身をまさにそのまま解説したものと言える。たとえば私はこんなことを夢想した。我々の世代なら「精度が悪くて使い物にならない」と一顧だにしない「翻訳ソフト」の存在とその進化を前提に、ソフトで翻訳されたとき意図が正確に伝わる文章の書き方を、若い世代は自然に身につけていくのだろうか、それが三上氏の言う「思わぬ方向からのソリューション」であるかもしれないなと。

私は私の文章がこのように受け止められたことを非常に嬉しく感じると同時に、実は私が直観的に書いた「思わぬ方向からのソリューション」について、梅田さんご自身は「夢想」と謙遜なさっているが「我々の世代なら『精度が悪くて使い物にならない』と一顧だにしない『翻訳ソフト』の存在とその進化を前提に、ソフトで翻訳されたとき意図が正確に伝わる文章の書き方を、若い世代は自然に身につけていくのだろうか」という明確な創造的なビジョンとして言葉にされていることに心底驚いた。

「ソフトで翻訳されたとき意図が正確に伝わる文章の書き方を、若い世代は自然に身につけていく」

同じ意味内容のセンテンスを、AではなくA'に、A''に、A'''に置き換えれば、翻訳機に通した場合に、意図がより正確に伝わる外国語のセンテンスに翻訳されることを、頭の柔らかい若い世代は必ず身に付けるはずである、と私はいいたくなった。

梅田さんは最後に次のように書いている。

日本の言論界ではウェブ進化の負の側面ばかりが強調される。むろん負の側面の存在を私は否定しない。しかし懸念を表明し批判して終わりの言論に何の価値があろう。そんなことを繰り返していても、批判対象のウェブ進化は絶対に止まらないのだ。そのことを前提にした創造的な生き方を、私たちは模索していかなければならないのである。

まだこう書かなければならない日本の言論界の現状は寒々しいかぎりだが、もう若くはない私のような年配世代の人間にも「創造的な生き方」を「模索」する勇気と具体的な方法を身を以て示してくれたのが梅田望夫さんその人である。私の場合は『ウェブ進化論』との出会いがなければ、今の私はない。梅田さん、改めて、ありがとうございます。