能動型検索、受動型検索、そして無意識型検索2

昨日のエントリー「能動型検索、受動型検索、そして無意識型検索」には多くの方から反響があった。

CLOCKWORKSのnakaharaさんからは「『受動型』想起に使えそうなサイトをつくりました。タグでdel.icio.us、Hatena Bookmark、Flickr!、YouTubeの情報をまとめてチェックできます。」という嬉しいコメントをいただいた。早速覗いてみて、びっくりした。不特定多数の人々が付ける多種多様な膨大な量の「タグ」が一覧できた。しかも一時間おきに更新されているらしい。まるでウェブの「鼓動」を聴いているかのような感覚にとらわれる非常にスマートなインターフェースだ。そのとてもいい感じのサイトTagSight↑↓には、次のような魅力的な言葉があった。

TagSightは「タグを通して眺めるもう一つのウェブの風景という意味の造語です。検索とは違うルートで、世界中のユーザがタグを付けたコンテンツを探すことができます。
"about"より)

普通は裏に隠れた「タグ」を顕在化させ、従来型の「検索とは違うルート」、「世界中のユーザがタグを付けた」、そのタグ付けを想起の引き金にしながら行う新しい検索サイトである。nakahraさんが言うように、それは一種の「受動型」想起に相応しい仕掛けであると同時に、私の考えでは、限りなく無意識型に近い受動型検索エンジンである。

***

ところで、昨日の「能動型/受動型/無意識型」の区別に関する説明に関して誤解に導きやすい点があった。bookscannerさんから指摘していただいて気付いたのだが、ユーザの「想起」における「能動/受動」と、システムやエンジンの「検索」における「能動/受動」が必ずしもぴったりとは重ならない点の説明が不十分だった。具体的には昨日のエントリーの次の箇所、

表面的には、ディレクトリ型検索やカタログ検索は、すべてお膳立てされたパック旅行に似て「受動的」であり、ロボット型検索や全文検索は、行き当たりばったりの一人旅に似て「能動的」な印象を与えるかもしれないが、システム的には、「タグ」がついていなければ始まらないという点では「能動型検索」に入る。

の最後の「能動的検索」はここの文脈から言って「受動的検索」ではないか、というもっともな指摘をbookscannerさんからいただいた。たしかに、その文脈からはそうとしか読めないことを認めざるをえないのだが、私の頭の中にあった文脈は実は違う文脈で、ところがそれをちゃんと明示できていなかった。ごめんなさい。

私が言いたかったことは、ユーザの検索行為や想起現象の観点からは、ディレクトリ型検索やカタログ検索は「受動的」に見え、ロボット型検索や全文検索は「能動的」な印象を与えるかもしれないが、検索エンジンの側(設計する側)から見れば、ディレクトリ型検索やカタログ検索もロボット型検索や全文検索もどちらも「タグ付け」が前提となるから、「検索」原理上は「能動的」、作為的(?)である、ということだった。言い替えれば、「タグ」がカテゴリーや分類や見出しやキーワードとして「こちら側」に見える(顕在化している)か見えないかの違いは表面的なことで、「向こう側」の仕組みとしては特定の「タグをつける」という「能動性」が、それらの「検索」の根本を特徴づけている、ということである。

そして、その上で、膨大なデータに接近させる/する仕方として、そのような「能動性」(作為的なタグ付け)の限界を超える検索と想起のあり方に注目したいなあということで、個々のユーザの意識上では「受動型」と言ってもいいのだが、検索原理上「無意識型」と呼ぶべき検索と想起が第三の検索として想定できるのではないかと言いたかったのだった。その一つの具体例が、bookscannerさんが挙げた「アンカーテキスト効果」である、と。