ウェブ進化と個人の進化

受講生のみなさん、こんばんは。
明日の講義の裏のテーマについて書いておきますね。

それは、そもそもなぜパソコンを使うのか、パソコンを使うとは一体何をすることなのか、そしてそもそもなぜインターネットを利用するのか、そうすることは何をすることなのか、という意外と見過ごされがちな、しかし非常に重要なラジカル(根本的)な問題です。

私が大学生のころには、インターネットはもちろん、パソコンすらなかった。しかし別に困らなかった。今でもパソコンとインターネットとは無縁に暮らしている人は少なくないし、その中には極めて優れた知的な仕事を成し遂げている人もいる。パソコンとインターネットを使わないからこそ、知的に賞賛すべき仕事ができるのではないかとさえ思える人もいる。とまれ、道具と環境は使い次第というところはあるが。

現在、私は自分なりにパソコン+インターネットを駆使することで、それなしではありえなかったであろう様々な恩恵に浴している。しかし、同時に、相変わらず、図書館は利用するし、街の本屋には行くし、古本屋に行くことも大好きである。音楽もMP3のカルーイ、ウスーイ音を聴くことが増えたが、たまにLPレコードをかける。そして、大きな謎、問題に直面したときは、まっさらな紙を拡げ、思いついたことを書く。それは文字とイラストが入り混じったようなメモだが、どんどん成長していく生き物みたいだ。それは私のアイデア発電所である。

何が言いたいかというと、世間には間違ったことを真実のように語る人がいるので、注意したいのだが、パソコン+インターネットが万能なわけがないということを肝に銘じたほうがいいということである。しかも少なくとも現状のそれは、美崎薫氏が断罪するように、かなり使い勝手が悪い。しかし、である。どんな道具も環境も使いようである。その利点を徹底的に活かした使い方さえ身につければ、決して損はないはずである。

増井さんのサイト『MASUIDRIVE!(増井駆動部)』には、その点の心意気とノウハウが溢れているので、是非訪ねてみて。

私たちのあらゆる活動は基本的に、何らかの仕方で情報を仕入れ、加工し、そして外に出すという三段階のサイクルからなると言える。知る、考える、行動する、と言ってもいいし、入力→編集→出力、といってもいい。そこで非常に重要なのが、伝統的に知るとか考えるとか言われてきたことは、実は「記録する」ということであるという、眼から鱗が落ちるような真実である。ただし「上手に記録する」こと。「上手に」の意味は「いつでも思い出せるように」である。つまり想起、あるいは検索しやすいように。後の使い勝手を考慮した記録法。これが実は知るとか考えるの本質であったのだ。

だから「記録」を単純な作業とみなしてはいけない。記録に終わりはないし、そこに「すべて」があるといってもいい。

この「三上のブログ」は私の「記録」の今や中心となりつつある現場である。(ちなみに、ブログは「パソコン+インターネット」環境を前提としている。今のところ、「携帯+インターネット」環境だけでは無理。)「シラタマノキ」ひとつを「記録する」ためにどんな苦労(楽しみ)を経たか、写真を記録するのに毎日どんなに悩んで(楽しんで)いるか、ご覧いただきたい。こうして毎日エントリーを書き続けることも「記録する」ことで、それは私的ハイパーテキスト化、つまり記録の「意味」をより明確に濃厚にする営みである。実感からいえば。ブログに毎週何本も論文を書いているのに近い感覚である。ひと月に何冊も本を書いているような感覚。

単なる情報を使い物になる状態に持って行くのが「記録」だが、情報量がある限界を超えると、記録は大変な作業になる。手に負えなくなる。その手に負えなくなった限界をサポートするのが「パソコン+インターネット」である。

さて、今や「パソコン+インターネット」は当たり前になり、そして”その先”が始まっていると言われ始めた。誰もが容易にパソコンを手に入れ、インターネットに繋がれるようになった。そして日本だけでも毎日延べ二千万人以上の人々がインターネットを利用する時代になった。利用者が激増することでインターネット上の情報量が激増して、インターネットの質が変化した。すると当然、そういうインターネットでしかできないことは何か、何ができるか、そこでのアイデアが問われるようになった。”情報革命”。それを牽引しているグーグル、そしてアマゾン。ここ数年インターネットで顕著な動きの背景はそんなことである。

そんな動向を身を以て知り、その荒波を果敢にサーフィンし続けてきて、たくましく生き残って来た、そしていよいよその本場アメリカに乗り込もうという増井さんの話は面白くないはずがないでしょ。

で、私としては、そのような動向を決して真に受けることなく、眉につばして、ネット上で起っている変化、ウェブ進化が、個人がより賢くなること、言わば「個人の進化」にどのように貢献しうる性質のものなかを知りたいと思っている。例えば、Web 2.0の本質は、個人の知的な営みにおいては何をどうすることに相当するのか、とか。そのイメージをちゃんとつかめている人でなければ、魅力的なサービスを発想することはできない気もするからである。

明日の講義では、そのあたりの本質的なことを語り合えるところまで行ければ最高だが、90分では無理だろうな。
(増井さん、以上は私の独り言に近いですから、明日は私の講釈をぶっちぎって、駆動してくださいね。)