バーミリオンとペルシャン・ブルー

副題:水銀と鉄が紙と出逢う

本を読むとき、今でもマーカーとして欠かせない道具に雌雄同体の動物のような、赤(バーミリオン)と青(ペルシャン・ブルー)の二色鉛筆がある。

下のちびた短い方は三菱鉛筆製、上はトンボ鉛筆製。色名の活字のフォントが違う。三菱鉛筆製はサンセリフ(髭なし)のゴシック体で、トンボ鉛筆製はセリフ(髭文字)でたぶんTimes New Roman。微妙な差別化。

赤といっても、VERMILION(バーミリオン)だから、鮮やかな赤、「朱」のほうがふさわしい。vermilionラテン語起源で「小さな虫(えんじ虫)」の意味である。そんな虫を朱色の染料に用いたことに由来するらしい。現在バーミリオンの顔料の多くは水銀と硫黄を化合させて作るが、自然のバーミリオンは中国で採掘される「辰砂(しんしゃ)cinnabar」と呼ばれる水銀の原鉱から作られることから、China red(チャイナ・レッド)という別名もある。

バーミリオンの主成分である「水銀mercury」という不思議な液体金属は物質としても象徴としても調べ出したら切りがないくらい興味深いものである。古代から神話的含意が横溢しているし、西洋占星術錬金術などの神秘思想においても重要な役割を演じる。また不老不死の薬として飲まれた遠い過去があり、有機水銀中毒による公害病も思い出さないわけにはいかない。想像力の世界では、マーキュリー(水銀)は「水=生命ある銀」として、変幻自在で油断のならない陰(かげ)の力のイメージが基底にあるようだ。バーミリオンの「鮮やかさ」の奥にはそんな水銀の不安な存在感へのかすかなつながりも見えると想像すると面白い。

青の方はPRUSSIAN BLUE(プルシャン・ブルー)、濃い青、紺青(こんじょう)である。筆圧によって、鮮やかな明るい藍色から濃く深みのある青色まで描き分けることができる。「prussian(プロシアの)」と形容されるのは、プロシアプロイセン)王国の初期、1704-5年にベルリンでDiesbachが偶然発見し、最初はBerlin Blue(ベルリン・ブルー)と命名されたが、後にプルシャン・ブルーという名で普及したからである。その経緯の詳細は不明。

青系統の色の化学的成分の中心は「鉄」である。「プルシャン」という語には「鉄」にも喩えられる厳格な軍国主義という意味合いもある。名前には好ましくない「鉄」のリンクがある。しかし、プルシャン・ブルーでラインを引くたびに、軍靴が石畳を打つ整然としたリズムの音を耳にしながら、Diesbachがこの色を偶然発見、発明したときの喜びが伝わってくると想像すると面白い。

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本を読むことは非常に複雑な経験であると感じている。普通の「本を読む」のイメージは全文検索に近いかもしれないが、そして全文検索のような通読を繰り返すということはあるが、「検索」というのであれば、それこそありとあらゆる多種多様な検索を行うことが「読む」ということで、その一部が検索エンジンに応用されているにすぎないと思っている。

本を読むとは、一体何をどう検索、サーチ、探すことなのだろうか?

例えば、私は本を一冊という単位で読むことが苦手である。と書いて、普通の「本」のイメージからすでに逸脱した本とのつき合い方をしている自分に気づく。もちろん、これは本のタイプにもよるのだが、せいぜい、頁という単位に少し拘っているだけで、どうも、もっと小さな部分に焦点を合わせている。その部分は単語や分節のこともあるし、一音節のこともあるし、一文、一パラグラフのこともある。

それらをバーミリオンやプルシャン・ブルーで丸や四角に囲んだり、筆圧を変えて傍線を引いたりする。間接的に、紙と金属(水銀や鉄)を出逢わせているわけでもある。一応私だけのマーキング・ルール(分類)はあるが、あまり厳格には適用しないようにしている。そうすると読むことが柔軟性と臨機応変さを欠くことになりかねないからである。私はマークした部分が本の頁から外の何かへつながっている、そのつながりを探しているようだ。

本格的な本のスキャニングでは本を解体するように、私は心のなかでいつも本をまずは頁にばらし、そしてさらに頁さえ細かく切り抜くようなことをしている気がする。切り抜いた部分がどこに飛んで行くかを見定めるために。そんな本の読み方を視覚化するとどうなるかと思って、多分、こんな感じだろうという写真を撮ってみた。

これは、心の奥の「渇き」を「一枚の枯葉」とつなげる想像力が示されている節の傍に、奄美大島で拾って持ち帰った枯葉を置いたところ。そうすることで、いくつものつながりが発見された。

ある本の「苛酷な砂漠の生活から生まれたイスラムの豊かな身体性」というフレーズがある頁と別の本の「回教的なやわらかく開いて行く時間」というフレーズのある頁を物理的に重ね合わせ近づけたところ。二冊の本を貫く、つなぐ見えない糸を辿っているのだと思う。

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私にとってのもう一つの異例なマーカー道具に半球のペーパーウェイトがある。それは不思議な拡大レンズになるので、ときどきこんな遊びのような読書をする。

注目した言葉が紙から浮き上がり、活字が頁から、本からも自由になって溌剌とし始め、連想が刺激されるような気がしている。