硬石山に山乃神碑があるらしい

札幌、曇り。ところどころ晴れ間が見える。気温はおそらく1、2℃。北風は少し冷たい。雪解けは進む。冬になったと思ったが、真冬にはならない。体調が狂う。駒岡ゴミ処理工場の煙突からいつもとは逆方向に白煙がたなびいていた。

朝の散歩。家を出てまもなくのこと。カメラを向けた瞬間、ゴミ・ステーションにたむろしていた三羽のカラスは条件反射のように飛び立った。今日は生ゴミの日。カラスとのコミュニケーションは一筋縄ではいかない。「撮らせてね」と心の中で念じても、おいそれと応じてはもらえるはずもない。警戒心は非常に強い。

気温があがり家々の屋根の雪もほとんどなくなっている。ツララも少ない。少なくなっただけに、いつも以上に眼はツララを探している。解けなければツララは出来ないし、成長もしない。成長しすぎると自分の重さで切れて落ちる。




散歩復路、別のゴミ・ステーション真上の電線にとまって周囲を窺う三羽+一羽のカラスに、離れた場所からカメラを向けた。気づいていないのか、この距離なら大丈夫と判断しているのか、飛び立たなかった。

なぜか一羽は他の三羽から数メートル離れたところにいる。見張り役か。

写真はないが、昨日たくさん生まれたコロラドトウヒの小さなツララは全体に小さくなったように見えた。母体の雪が解けてほとんどなくなっている。明日はもうないかもしれない。コロラドトウヒの真下に基準点がある。その標識の言葉にひっかかった。

「大切にしましょう」とはどういう意味か。「基準点」だけで充分だと思った。好意的に解釈すれば、「知りましょう」ということか。でも「基準点」だけで、そこが基準点であることは知れる。基準点の意味は他で調べればいい。「大切にしましょう」とは何をどうすることなのか。その標識を蹴ったり、折ったりしないようにしましょうという意味にはとれないし。こういう分かったような分からない無駄な言葉の使い方は良くないと思う。

昨日、近所のスーパーの屋上駐車場から硬石山の北側の一部が見えた。見事に無惨に切り崩されている。山中のどこかに山乃神碑があるらしい。「ヤチダモの古木と蛇」にまつわる言い伝えがあることを知った。今度探してみよう。