翻訳的体験

2月25日のコメント欄でのkillhiguchi(id:killhiguchi)さんとの言語と翻訳をめぐる意見交換において、私はkillhiguchiさんの真摯なコメントに心打たれると同時に大きな刺激を受け、思いも寄らぬ一種の連想や想起が働き出して、自分でも驚くようなことを二つ書いた。一つはkillhiguchiさんも共感してくださった次のような哲学的イメージだった。

言語は自己に似ていると思います。他者(例えば英語)に触れてはじめて自己(日本語)を自覚する。その「触れる」ことが広い意味での翻訳だと思います。私は外国語に触れる体験はすべて翻訳体験だと考えています。それは言い替えれば「関係」の体験です。翻訳という関係の体験のなかで日本語的自己を自覚し、英語的自己に気づく。

そしてもうひとつは、次のような詩的イメージだった。

外国語に触れる際には、日本語の「中」で中心に近い場所から縁の方に移動して、皮膜みたいなところ、日本語の濃度が希薄なところにまで近付いているというイメージも持っています。その皮膜が破れて起こっていることが、翻訳の核心だと感じていますが、それをはっきりと語ることはまだできません。

これに対してkillhiguchiさんは次のような「異論」を提起してくださった。

外国語に触れる時こそ、我々はバックラッシュのように日本語に触れているのではないでしょうか。翻訳体験ほど日本語を濃密に体験させるものはないと思います。それはネットワークを外から眺めさせる体験です。

こうして違和感を表明していただいたお陰で、私はもう一歩先に進むことができた。killhiguchiさんは遠慮深く、かつ優しく「いつか翻訳の核心が語られる事を楽しみにしています」と書いてくださったが、私としてはブログにおけるこのような緊迫したやりとりの中でこそ思いがけない考え、イメージの連結等が生まれる絶好の機会だと常々思っているので、「いつか」は「今」をおいてないと感じて、それで書いたのが次のコメントだった。

前のコメントで私が書いた二つの論点に関して、killhiguchiさんが「非常に良く分か」ると応答してくださった方よりも、実はもうひとつの「賛同」いただけなった方が実は現在の私の一番の関心(一番の関心がたくさんあるのですが…)なんです。

前者はやや哲学的にまとめたイメージで、後者は「詩的言語」の解明につながると思っているイメージです。なぜ、「詩的言語」なのか、というと、「詩」こそが、実は言語の皮膜、縁に近づく最も深い言語活動だと考えているからです。考えるだけでなく、ずっと感じてもきました。さらに、そのような意味での「詩」は外国語に最も接近した、場合によっては乗り入れもするような言語の境域であり、「翻訳」について根源的に考える際にも、欠かすことのできない視点だと確信しています。

蛇足ながら、私が毎日紹介しているメカスの365日映画ですが、あれは私なりの「翻訳=詩的言語活動」の一環、「翻訳の核心」の提示です。そこで私は毎日、日本語の皮膜をちっぽけな規模ですが、破って、英語との間を往来している実感をもっています。理論的に語ることも軽視できませんが、実践で示す、見せることのほうがどちらかといえば大切な気がしています。

これに関連する自分でもなかなか面白いと思っているアメリカ滞在中の「翻訳」体験、実験記録について、近いうちにエントリーの方に書きますね。

これでは、まるでbookscannerさんに教えられた"Self-plagiarism is style"(「自分のネタを自分で盗むのも、ひとつのスタイルさ 」:アルフレッド・ヒッチコック( 映画監督 )ではある。

さて、killhiguchiさんが期待してくださった私のいう「翻訳の核心」にもふれるであろう(と期待する)私のアメリカ滞在中の「翻訳」体験について、2004年当時の記録から要点を再録しておきたい。

それは同じ研究所で過ごした仲間の一人でノルウェー人のコンピュータ言語学者のLさんとの交換授業の体験だった。ノルウェー語が母語で英語、ドイツ語なども不自由なく話す彼女からノルウェー語を私が習い、日本語が母語で英語、ドイツ語などを不自由にしか話せない私が日本語を彼女に教えるという授業だった。それは当初私が一方的に彼女からノルウェー語を習うという計画だった。

それは単に一外国語としてのノルウェー語の学習とか結果的に英語の勉強にもなると考えたからだけではなくて、ほとんどバイリンガルである彼女から英語でノルウェー語を習うことによって、英語しか話さない人から英語を習うだけでは見えて来ない言語の普遍的特徴が、僕の中に生じるノルウェー語-英語-日本語のいわば三角関係によって、きっと見えるようになるはずだと思ってもいたからでした。それは僕のプライベートな多言語環境構築の計画でした。僕はなかなか巡り会えないそういう機会をこちらに来た当初から求めていました。

しかし、相談の結果、私が彼女に日本語を教えることでギブ&テイクの交換授業になった。そのことの意味については当時の私は次のように書いている。

彼女の中ではノルウェー語と英語が複雑に接し合い、僕の中では日本語と英語が別の複雑さで接し合っています。そういう人間同士が母国語ではない英語によって、お互いの母国語を説明する。彼女は「翻訳の勉強になる」と比較的軽く考えていたようですが、少なくとも僕にとっては母国語の日本語を噛み砕くような作業を強いられるしんどさを予感していました。そして彼女の中でも、日本語-英語-ノルウェー語の三角関係が生じることを期待していました。もちろん、そのためには、日本語の理解が英語に止まってしまわずにノルウェー語にまで届くような工夫が必要なのですが。そのことは彼女がノルウェー語-英語の一対一の関係だけで、しかも英語を基準にして翻訳というものを考えているために直面している彼女の研究上の諸問題を解決するヒントを与えるかもしれないのでした。

そして、交換授業の内容はこうだった。

僕が彼女に頼んだノルウェー語のレッスンは、ノルウェーの詩人が書いたノルウェー語の詩を朗読してもらい英語に翻訳しながら、ノルウェー語の発音を習い、文法とそこからの逸脱も説明してもらうという内容でした。ちょっと彼女には荷が重すぎるかなと思いましたが、当人は翻訳は自分の研究テーマの一つでもあるから是非チャレンジしたいと言ってくれました。そして彼女がお気に入りの現代詩人を数人紹介してくれました。その中には日本でも有名なあの「人形の家」のイプセンも入っていました。一方、日本語に関しては、彼女は実際的な必要と自身の研究テーマとの関係から、日常的な会話で使われる言葉の発音と意味と文法を詳しく知りたがります。それを教えるのはそんなに易しくはありませんが、彼女のほうからどんどん質問してくるので、こちらが教材を用意する必要はなく、彼女が次々と繰り出して来る質問に答えてあげれば、それが授業になるのでした。

こんな交換授業をお互いのスケジュールをやりくりして、計3回行った。その初回の授業の模様について、当時の私は次のような記録を残している。

ところで、僕がノルウェー語を習いたいと思った背景には、単純に異国語の響きや文字の並び方の姿に触れるのが好きだということが先ずあって、それからその言語に固有の文法を知るのが面白いから、そして何よりもこの先ノルウェー人からノルウェー語を習える機会はないと確信したからという素朴な理由もありました。しかし、予想していたとは言え、初回の授業から、英語、そして少しのドイツ語とフランス語が二人の間の共通語であるという事実を越えて、英語とノルウェー語と日本語が鏡のようになってお互いにお互いを映し出し合う、そういう瞬間が訪れることに僕は少なからず嬉しい驚きを覚えていました。ドイツ語とフランス語はさしずめ小さな手鏡のようでした。

例えば、僕が最初に選んだ詩の中に登場したpikeskritt(ピーケ・スクリット)という複合語の説明にLさんはかなり苦労していました。英語で説明すると、pikeがgirlで、skrittがstepsですから、girl's stepsなんですが、そのskrittは単なるsteps、足取りではなく、ノルウェー語では三段階あるらしい足音の大きさの一番小さな足音の足取りだそうで、ノルウェー人はskrittと聞けば、その小さな足音までイメージするわけです。Lさんは擬態語を使い、手でテーブルを軽く叩きながら、skrittの足音のイメージを説明してくれました。英語や日本語では一語でそんなイメージまで表現することはできません。そして逆に、skrittという一語が持つイメージを想像しているうちに、そのイメージを表現するための英語の仕組み、さらには日本語の仕組みの方を改めて見ている自分に気がつくのでした。一般的に言えば、人の歩行の表現に関しては、英語や日本語は抽象度が高く、ノルウェー語は具体性への密着度が高いということだと思います。何故そうなのかは大変興味深い、文化に深く根ざした問題だと思います。

「カリフォルニア通信22(2004年11月24日)」抜粋

こういう次第で、当初から私は初めて触れる、習う外国語に「詩」を窓にして近づこうとした。それは上で書いたように、「詩」とはその言語の辺境に位置し、いわゆる「言語の壁」のもっとも薄い場所だという直観を昔から抱いていたからである。だから「詩」を一種の「中間言語」の雛形に見立てていた節さえあった。ある言語の中で詩的言語の運動に入り込むことはその言語の縁に移動することであり、それを別の言語の中での同様の運動と近付けるなら、異言語間をいわば詩的トンネルが貫通する、そんなイメージが浮かんでいた。

(つづく)