月島と北の島

2月13日「銀座巡礼」で書いたように、2月9日(金曜日)午後に月島を訪れた。四方田犬彦著『月島物語』(集英社文庫)がガイドブックだったということも書いた。今年に入って、工作舎から『月島物語ふたたび』が出たことは後で知った。札幌に戻ってから入手した。

月島物語ふたたび

月島物語ふたたび

この『月島物語ふたたび』は『月島物語』(集英社文庫)の内容をそっくり再録し、新たに書き下ろされた「月島2006」と陣内秀信さんとの対談「『月島的なるものを』をめぐって」が収録されている。それらが工作舎ならではの編集術で四方田さんが月島に居住した年(1988-1992)、再訪した年(1999)、再々訪した年(2006)とクロニクル風にアレンジされ、本文へとリンクを張った独立した年表と写真が心憎いセンスで配置されている。とても美しい本に仕上がっている。


私の興味は当然のように、昨年2006年に再々度月島を訪れた四方田さんは月島について何を書いたかに向けられた。「月島2006」は予想通りのベクトルと予想外のベクトルを孕んだ文章だった。

予想通りだったのは、旧著の最後でも表明されていた中上健次の「路地」観との関係を強く意識したベクトルだった。「月島2006」の最終節では、「路地から島へ」と要約できる思想的闘争のベクトルが銘記されている。

最初の『月島物語』の結末部で、わたしは路地という視座の必要性を説いた。十数年の後にわたしが新しく提唱するのは、島という視座である。陸地で生じることのいっさいを、水という隔たりを通して、島の側から眺め思考すること。月島を論じるにあたっても必要とされるのは、この島で生起していることの一切を、さらに別の、より小さな、見捨てられた島の立場から眺め思考することでなければならない。
(374頁)

予想外だったのは、クロニクルからも抜け落ちている1980年代初頭、まだ大江戸線どころか、有楽町線もなかったころに、知り合いの写真評論家に誘われて、銀座方面からバスで勝鬨橋を渡って、初めて月島を訪れたときの記録だった。その四半世紀前の体験を想起した貴重な記録にこそ、私は「月島的なるもの」の秘密が宿っていると強く感じた。それはもしかしたら、思想的闘争よりも大事なものかもしれない。

お目当ての居酒屋は、バスの停留所を降りてしばらく歩いたところにあった。戦後まもなく建てられたと思しき、罹災者用の集合住宅を抜け、銭湯の煙突の下を潜る。つい今しがたまで過ごしてきた銀座の喧噪とは対照的に、ひっそりとした街角が続く。運河の昏い水を一跨ぎすると、いくぶん賑やかな商店街が出現した。時間に置き去りにされたかのような通りだった。写真評論家はいかにも心得た風に呑み屋のガラス戸を開ける。中は客でいっぱいだった。煤に汚れた天井には幾枚もの魚拓が貼られ、壁には戦前のものと思しき酒屋のトタンの看板が掲げられている。長い板の卓の擦り切れぐあいが、この店の歴史を物語っている。ここは戦争前は酒屋で、しばらく立ち呑み専門だったのだが、後で呑み屋になったのだ。何でも知っているわが相棒は説明した。

その晩に何を食べて、何を呑んだのか、とにかくその場の雰囲気に呑まれてしまっていて正確に再現することはできない。とにかくモツ煮込みがべらぼうに旨かったことだけは記憶している。わたしたちは大いに呑み、また語った。わたしはまだ若かった。心はこれから向かおうとする未知のフィルムや文学、まだ足を向けたことのない外国のさまざまな都市への期待で、大きく膨らんでいたときだった。

いい気分に酔っぱらって勘定を払い、店を出た。ふとその脇に眼をやってみると、そこにはうす暗がりのなかに狭い路地がどこまでも続いている。両脇には夥しい数の植木鉢が、びっしりと並べられている。二階建ての長屋はどの窓もすでに灯を落とし、寝静まっているようだ。このあたりはみんな魚河岸に勤めているから、朝がおそろしく早い。だから夜も早くに寝てしまうんだよと、写真評論家がそう説明してくれた。面白そうだから、ちょっと歩いてみようか。だが、わたしは遠慮した。一杯機嫌の風来坊が不要な好奇心から踏み込むには、あまりにその路地の佇まいが整然としていて、不用意にそこに進入することが躊躇われたのである。いくぶん大げさな表現になるかもしれないが、路地にあって地道な生活を続けている生活者に対する、畏怖の感情であるといってもいい。外部からの不用意な視線を避けながら、静かに篤実に生きてきた者だけが内輪で築き上げてきた親密な空間を前にして、わたしは直感的に後退りしてしまったのである。

これが、わたしと月島との最初の出会いだった。そのときにはまさか自分が数年後にニューヨークに留学するとは考えてもいなかったし、その後にこの月島に居を定めることなど念頭になかった。わたしはどこまでも「陸地」から到来した酔客にすぎなかったのである。
(343頁〜344頁)

最終節で銘記される「島という視座」への伏線としてここにすでに「陸地」という緊張関係にある視座が何気なく敢えて置かれていることはさておき、私は四方田さんの月島との最初の出会いにおける「畏怖の感情」を尊重したいと思う。そこに畳み込まれた月島の記憶、歴史にこそ、「陸地」の未来も胚胎しているような気がするからである。それに私は北海道という、小さくはないが、ある意味では「見捨てられ」続けてきた北の「島」に住む。私は四方田さんに比べれば、島の視座が生得的だ。祖父母からは本州は「内地、内地」と言われて育った。分けも分からず、その内側から隔てられているという感覚だけが幼いころから心のどこかに植え付けられた。だから、東京滞在中訪れた場所のなかでは、月島だけは身も心もすーっと入って行けたような気がする。それは四方田さんが避けようとする「フェティッシュな参入」でもないし、「ノスタルジックな同一化」でももちろんなく、不思議な「共有感」のお陰だったような気がする。「ような気がする」ばかりで「論」にはなっていないが、とりあえず、記録しておこう。