廃墟階段を発見する

朝、散歩に出る直前までは大きな牡丹雪が舞い降りていた。散歩に出たときには雪は止んでいたが、藻岩山は雪に煙っていた。寒くはなかった。原生林からはツグミらしきさえずりが聴こえたが姿は見えなかった。

散歩の帰り道は、いつも左半身に「崖」、その下の土地を感じながら歩いている。昨日初めてその下に降りてみたのだが、今朝はある種の予感に導かれるように、いつもよりちょっと北側の初めての脇道に足を踏み入れ「崖」に近付いた。

近付くと、ああ、こいつが私を導いてくれたのか、と思ってしまうような可愛いガイドがいた。



あった!他には階段はないはずだ、とあの「路地階段」の管理人のようなオジさんは言ってたけど、やっぱり、あった。もうひとつの階段。第二の階段。あちらとは大分雰囲気は違う。ジグザク階段だ。ヒーティングはされていない。除雪も部分的にしかされていない。朽ちかけた樹木のようなちょっと寂しい印象、廃墟感のある階段だが、そこがまたいい。そうだ、「廃墟階段」と命名しておこう。



立て看板に地主さんからのメッセージが読める。なるほど、やっぱりな、と思う。地主さんの作りっぱなしの階段で、近所の人たちも使いっぱなしなわけだ。

この階段にふさわしい風情の古い木造の家屋がある。今は倉庫に使われているようだ。



昨日と同じように旧道に出て、歩道を歩く。いつも車で過ぎるときには見えない町の細かい表情が目に飛び込んでくる。昨日と同じ脇道に入り、第一の階段、「路地階段」に向かう。途中、私が住む町の土地の「底」に立ち止まる。

土地の「底」で舞ってみた。17秒。

路地階段を利用する三人の若者と一人の年配者を見かけた。


路地階段から左右の崖の様子を観察する。


階段を昇り、ちょっと寄り道して突き当たりから崖が見下ろせる場所に立つ。崖の様子を観察する。

ふと見上げると宿り木(mistletoe)が。

***

11年目にしてようやく、私は自分が住んでいる土地とまともに対話し始めたような気がする。それは土地と人間の交渉の記憶、とその痕跡に気づくことであり、それらは以前から私の潜在意識に働きかけていたはずで、ここで生活している限り、その見かけの景観に潜在する土地の記憶は、私の心の景観に深い影を落としつづけてきたのに違いない。その言わば無意識を意識に浮上させようとするかのように、私はこの土地の「声ならぬ声」に耳を澄まし始めたような気がしている。