シャクナゲは忌み木だった

札幌、小雨。寒かった。

藻岩山。「新緑前線」の上昇具合は確認できなかった。

毎朝短い時間ではあるが、植物を注意して見るようになって、植物の世界の記憶がほぼ完全に書き換えられつつあるのを感じている。「俺、今まで、何見てたのかな?」と毎朝のように呟いている。目に留まった個々の植物を観察して調べて、をくり返しているうちに、植物の分類の地平、いわば「類似性と差異性の地平」が自分の中に出来上がりつつある。すぐには名前が同定できなくても、「見当」がつくようになった。今まで一括りにして見ていたものたちの間の違いが目につくようになったり、全く別だと思っていたもの同士が意外にもよく似ていることが見えてくるようになった。

恥ずかしながら、例えばツツジシャクナゲはかけ離れていると思い込んでいたが、シャクナゲツツジの仲間であるということを最近知った。他にもシャクナゲに関する「なるほど、そうだったのか」と合点の行くいくつかの事実を知ることになった。そんななかで特に印象的だったのは、昔は「忌み木」だったということだった。

シャクナゲの品種改良の歴史は比較的浅く、18世紀より始められました。昔から日本では、シャクナゲは深山に咲くその神秘性から一種の「忌み木」として一般の庭園に持ち込む事を敬遠する民族信仰があったようで、それが園芸化が遅れた原因の一つのようです。しかし、西洋ではシャクナゲの園芸化が進んだため、種類が多く花色も豊富です。*1

ある廃庭の木陰の薄暗がりのなかでひっそりと咲いていたハクサンシャクナゲを見つけたときに、他所で見たどのシャクナゲよりも強く惹かれた理由が少し分かったような気がした。陽当たりのよい庭で咲いている姿よりも、暗がりに隠れて静かに燃えるように白く輝いている姿に「本来の美しさ」を感じたのかもしれない。

*1:播州山崎花菖蒲園」の「シャクナゲについて」