活字の旅と記憶、港千尋『文字の母たち』

今年の3月にとうとう出るべくして出た、文字、活字の写真集。港千尋(Minato Chihiro)『文字の母たち(Le Voyage Typographique』。

文字の母たち Le Voyage Typographique

文字の母たち Le Voyage Typographique

2006年、閉鎖間際のフランス国立印刷所、そして大日本印刷株式会社で、この地球上から急速に消えつつある活版と活字の最後を記録した貴重な写真集である。

 本を出すようになって二〇年になるというのに、本がどのようにして生まれるのかを考えたことがなかった。活版印刷所との出会いは、その意味で、本の物理を見つめるきっかけとなった。文字を撮影するという経験は、写真と文章を続けてきた者にとって、ふたつの世界が重なる稀有な機会となった。それを支えたのは撮影から出版まで、本をつくることに携わる多くの人々との共同作業である。(あとがき、108頁)

その表紙の帯には、

世界でもっとも古い印刷所のひとつ、
パリ・フランス国立印刷所、
秀英体活字を伝える東京・大日本印刷・・・
いまや絶えようとする活版金属活字の最後の姿をとらえ、
文字の伝播の歴史を繙く写真集。

とあり、また裏表紙の帯には、

ガラモンに始まるアルファベットをはじめ、楔形文字ヒエログリフギリシア、アラビア、エチオピアヘブライ、ジャワ、チベット、そして漢字と仮名……、グーテンベルク以降の西欧の活字活版印刷技術を伝承するフランス国立印刷所は、その後の書体の発展に大きな影響を与え、日本における明朝体金属活字の精華・秀英体にも、遠くその記憶が谺している。パリと東京で撮影を重ね、ユーラシア大陸をまたぐ文明の交流と接点を凝縮する活字の記憶を遡った壮大なフィールドワーク。

とあるように、その静謐な写真の数々とともに、以下のような見出しが控え目につけられた、「秀英体」による文章も含蓄があり、非常に示唆的である。

奥の歴史、あるいは旅の始まり
活字には音と熱がある
王の文字
ガラスの写真
ネリさん
オリエンタリストの世界
旅する漢字
直彫りの驚異
未来の母型

そして急いでつけ加えなければならないことは、港千尋氏の眼差しは単に過去に向けられているだけでなく、世界中の書物の頁が文字単位でデジタル情報化されてインターネット上を流通するであろう近い未来にも照準しているように読めたことである。

 字を彫る人の姿勢は、ルーペを使っているとはいえ、基本的には字を読む人の姿勢と同じである。彼や彼女は椅子に座り、小さな字を見つめる。そのとき字を彫る身体は、本を読む身体と同じ知覚をもっている。字を彫ることは書物のアルファであり、印刷された字を読むことは書物のオメガであるが、その最初と最後がひとつにつながるように、同じ身体によって担われていることが、重要なのである。
 その身体感覚は、おそらくデジタルの時代にこそ求められるものだろう。文字を作り出すことと読むことを結びつけ、書物のアルファとオメガをつなげるためには、これまで人間の手によって彫りだされてきた、すべての文字が必要になるだろう。それらの母型をとおして立ち上がる記憶は、未来の書物の血肉となるであろう。
(084頁)

港千尋氏は「未来の書物」をどのようにイメージしているのかは不明だが、私の見るところ、Google等による本の電子化が進めば、インターネット上に「これまで人間の手によって彫りだされてきた、すべての文字」がいわば「記憶」される日はそう遠くはない。ここで、「デジタル文字母型」というアイデアがちらっと浮かんだ。これはほとんど妄想だが、遠くない将来にはインターネット上で好きな字体で文字を組み、ページ・レイアウトし、「本」を出版することができるようになるかもしれない。その工程すべてがデジタルでしかもオンラインのパブリッシング。

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私は字を「読む」前に、字を「見る」、目で触れるように見る、変な癖がある。時々、こんなふうにして本の頁に印刷された字を「読む」だけなら必要もないのに、ガラスのペーパー・ウェイトをルーペ代わりにして覗いたりして遊ぶ。(「痞(つかえ)」の字が生まれた瞬間。)