ジョナス・メカスによる365日映画、4月、107日目。
Day 107: Jonas Mekas
Tuesday April. 17th, 2007
10 min. 45 sec.
With Peter Sempel
we get involved in
a deep discussiion*1 of
nothingness......
ペーター・ゼンペルと
無をめぐる深い議論に
夢中になる......
他の客の話し声が喧しいレストラン。たぶん、3月7日に登場したニューヨークのダウンタウンにあるクレムカフェ(Cremcafe)。メカスと眼光鋭いペーター・ゼンペルは、絶対無(Absolutely Nothing)、空虚(Emptiness)、流転(Flow)をめぐって、言葉遊びのような、禅問答のような議論を続ける。「議論」といっても、概念的な理解を求める立場から強い口調で早口にメカスに問いただすゼンペルに対して、メカスはその質問をはぐらかすような、あるいはゼンペルが立つ土俵をずらすかのような言葉を終始のらりくらりと繰り出し続ける。
途中、「お前は知識人みたいだなあ」とメカス。「いや俺は自然体だよ」とゼンペル。そのうちゼンペルはあきれたような、そこまで言うならしょうがないという表情になり、ときどき受け笑いをするようになる。メカスは議論の内容よりも、議論をしていること自体、言葉を発すること自体、他人の言葉を耳にすること自体を楽しんでいるようかのようだ。カメラはテーブルの上の白ワインのグラスを何度もとらえる。白ワインを飲みながらの食事。素性不明の若い女性が一人同席しているが、二人の議論にはほとんど参加していない。
メカスにとってそもそもカメラは自由にならない異国の言葉=英語の代わりのようなものだった。話す代わりにカメラを回し始めたのだった。今でもどこかぎこちない軋むような言葉=英語よりも、カメラの動きの方が相手の言葉にリアルタイムにスムースに反応している「言葉」のように感じられる。
そうだとすれば、ゼンペルとしては、メカスが操る会話しているようなカメラの動きと口をついて出る詩のような言葉の両方に気を配らなければならないはずで、そのせいか、一度メカスが向けるカメラのフレームからわざと外れようとする素振りを見せた。
ペーター・ゼンペルは、3月7日に名前だけ登場した。そこにも書いたように、
ペーター・ゼンペル(Peter Sempel, 1954-)はハンブルグ生まれの映像作家、写真家で、ニック・ケイブ(Nick Cave, 1957-)やニナ・ハーゲン(Nina Hagen, 1955-)などのミュージック・ビデオ製作で有名だが、これだけの人たちのフィルムや写真を撮影している。その中には詩人の吉増剛造さんも含まれているが、現在リンクは切れている。また、百歳を超えた舞踏家大野一雄さんのドキュメンタリー映画『Just visiting this Planet (この惑星に立ち寄る)』(1991)*2や『Kazuo Ohno: I Dance Into the Light 』(2004)の監督としても知られる。
蛇足ながら、途中ゼンペルはカメラ目線ではっきりと敢えて日本語で「乾杯!」と言ったのが気になった。このメカスの365日映画への日本からのアクセスが多いこと(実際にそうなのかどうかを私は知らないが)を知ったからだろうか?
*1:単純な綴り間違いではなく、普通の意味での議論を揺るがすような議論を表そうとしているように思われる。
*2:ここからWindows Media PlayerかReal Player用のビデオ・トレーラーをダウンロードすることができる。