先日、くまさんの紹介「吉田初三郎の鳥瞰図:聖化された観光地」(2007年08月01日)を読んで感動して、「鳥瞰図絵師吉田初三郎はシュールレアリストだった」(2007-09-05)を書いたが、中山さんと二風谷を訪問した後に立ち寄って一風呂浴びた支笏湖畔の「秘湯」丸駒温泉旅館の廊下の壁にこんな鳥瞰図を発見した。
創業当時からの古い写真と並んで額縁に収められていた。明らかに吉田初三郎の作風を模倣したと思われる鳥瞰図だったが、吉田初三郎の鳥瞰図がもつ稠密さと凄みは全くなくひどく稚拙な印象さえ与えた。「地図の資料館」に「支笏湖」は載っていないが、吉田初三郎は昭和20年代末から30年頃にかけて北海道各地の観光地の鳥瞰図を描いている。昭和28年頃には「洞爺湖温泉」も描いている。年代的には吉田初三郎が「支笏湖」を描いた可能性は棄て切れないが、この鳥瞰図はどう見てもかなり雑な模倣である。
実は、この鳥瞰図を見ながら、私は吉田初三郎に今しがた訪ねてきた二風谷の鳥瞰図を描かせたかったとちらりと思ったのだった。しかし、くまさんによれば、吉田初三郎は世俗的な観光地をその独特の手法で「聖化」することに本領を発揮したわけで、二風谷のようなそもそも聖地である場所を目の前にしたら、きっと「鳥瞰」できなかっただろうな、と思い直したのだった。いや、いや、待てよ。ダムに沈んだ二風谷は言わば世俗化されかかった聖地であり、そうだとすれば、吉田初三郎のような才能によって再び「聖化」されうるのではないか。どうだろうか。
不図、全然違う文脈でくまさんが教えてくれた、ジョナス・メカスと同じリトアニア出身の画家兼作曲家であるチュルリョーニスが描いたような「山が涙を流している」絵を連想した。