探すとは生きること:吉川日出行編著『サーチアーキテクチャ』

サーチアーキテクチャ 「さがす」の情報科学

サーチアーキテクチャ 「さがす」の情報科学

『サーチアーキテクチャ』の編著者である吉川日出行氏は「さがす」という行為は「永遠かつ本能的な行為」である、と語る。永遠であるとは「終りのない営み」であるということ、本能的とは、例えば、生まれたばかりの赤ん坊が母親の乳房をさがすようなそぶりをみせるということを意味する(「あとがき」266頁)。

そしてこの本の内容は、これまでみずほ情報総研が様々なコンサルティングシステム開発の経験を通じて得てきた、モノや情報を「さがす」事についての知見やノウハウの集成であると同時に、昨今の「情報爆発」と呼ばれる情報量の未曾有の加速的増加に対処すべく、そもそも「さがす」という行為の一般的な分析や幅広い調査から始め、検索に関わる考え方と技術の歴史と現状をくまなく調査し、「さがす」行為をさがすためのツールの観点とさがされる情報の整理の観点から「体系化」した野心的な試みである。

ちなみに、その最終章「7 ツールだけではさがせない」におけるフォークソノミーに対する評価に際して、私の拙論を参考にしてくださったという経緯がある(「参考文献一覧」264頁)。

この本は様々なビジネスの現場で、増え続ける情報の処理、活用に難儀している組織や個人に多くのアドバイスやヒントを提供するものである。そして何よりも、われわれの「さがす」という行為の深さに改めて目を開かせてくれる点が貴重である。現に、この本を書くために、吉川氏を含めた7人の著者たちはどれほど「さがした」であろうかと思い至らない訳には行かない。やや「反則」気味の指摘になるかもしれないが、私が象徴的だと感じたのは、「あとがき」(265頁)で触れられている、本書の企画を温めていた吉川氏がそれを取り上げてくれそうな出版社を「さがす」という場面である。

つまり、「さがす」ことについての本を書くために探し、そのような本を出すためにも探さなければならない、という何重にも折り重なるような探す行為の総体が正しく「生きる」ということなのだという声が本書の随所に谺のように響いている。

本書は、実際に役に立つだけでなく、情報技術の最先端において「生きる」ことの実質を考えるためのヒントにも満ちた良書である。