Ryuta Imafuku. Loin du Brésil / Pescadero-California, 2006
今週はじめ、今福龍太さんから素敵な案内が届いた。『ブラジルから遠く離れて------サンパウロへの郷愁(サウダージ) 1935-2000』(「論証------群島のアート考古学」GALLERY MAKI, 2007所収)なるレクチュア記録である。まるでサンパウロから、パリ、ペスカデーロ、トーキョーを掠めてサッポロまで飛んで来たブーメランのようなメッセージだと感じた。茅場町のGALLERY MAKIで今福さんとレヴィ=ストロースの「時間」にまつわる複雑な因縁に由来するたいへん興味深い関連企画展が開催中である。来年中には両氏の共著が出版される予定だと今福さんご本人から聞いている。
ブラジルにまつわる「レヴィ=ストロースの深い個人史的感慨」を巡る上記レクチュア記録の本旨からは外れるかもしれないが、私は以下の冒頭、導入部になぜか慰められた。
カリフォルニア・ステイト・ワン(州道1号線)という絶景の続く道路がサンフランシスコから南へと下る海岸線沿いにあります。カリフォルニア州北部の太平洋岸は海からいきなり断崖絶壁になっていて、その州道1号線をずっと南に向かって走ると、途中にペスカデーロという小さな砂浜が断崖のはざまに隠れるようにして広がっている。そこで車を降りて、私はポケットに入れておいた小さな本を海岸の奇妙な粘土質の崖の縁にところに置き、海の方へ向かって何度かシャッターを切りました。
最近こんな風にして、ポケットに入るぐらいのサイズの本を上着のなかに放り込んで、それを旅先の風景のなかに置いて写真を撮るというようなことを時々試みているんです。今回、このカリフォルニアの海岸に置いてみた本は『Loin du Brésil』(Chandeigne, 2005)。
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私も三年前に訪れたことのある旅先の風景のなかに、しかも海と陸が激しく鬩ぎあう海岸に、上着のポケットに携行した手に馴染んだはずの小さな本を置く。そして写真を撮る。場所がカリフォルニアの海岸、本がレヴィ=ストロースの本ではなくとも、その一見何気ない行為には、非常に深い意味が感じられる。それは読書と旅という越境の経験と記憶の異なる層を重ね合わせる行為のように思われる。「海の方へ向かって何度かシャッターを切」っているのは誰なのか?それは今福龍太という同じ名前を持つ新たな人格のようにも思われる。その人格がとりあえず「レヴィ=ストロース+今福龍太」と名付けられていると考えたくなった。