ミツバチの飛び去る速度、サウダージ

レヴィ=ストロースの庭

レヴィ=ストロースの庭


サンパウロへのサウダージ

サンパウロへのサウダージ

港千尋『レヴィ = ストロースの庭』を「散策」している間に、今福龍太さんのレヴィ = ストロースとの「共著」『サンパウロへのサウダージ』が届いた。

サンパウロへのサウダージ』は、レヴィ = ストロースと今福龍太による写真を介した時間と言語を隔てた「対話集」とでもいえる異例な作品=試論(エセー)である。

私にとって『レヴィ = ストロースの庭』と『サンパウロへのサウダージ』は、毎朝の散歩と同じように、世界と人生の裏道、路地を散策するような至福の時を与えてくれた。至福。それは喪失感と憧憬が複雑に入り混じった茜色の感情に浸されながら「重層化された時の秘法を目撃する『もう一人の旅人』」(『サンパウロへのサウダージ』167頁)になることだった。

『レヴィ = ストロースの庭』に収められた三つ目のエッセイ「蜂蜜の贈り物」では、逃れ去り二度と戻ってこない人生に懐深く向き合う眼差し、姿勢が次のようにさりげなく語られている。

人生はミツバチの飛び去る速度にある。しかも飛び去った蜜の精は二度と戻ってこない。それは光線のようなものである。だが戻らないことを知りながら待つことができるところに、人間のよさもあるのだろう。

(098頁)

ああ、これはレヴィ = ストロースの語る「サウダージ」ではないか。

 私が近著のタイトルで、ブラジルにたいして(そしてサンパウロにたいして)<サウダージ>という表現を採用したのは、もうそこに自分がいないのだという悲しみによるものではなかった。あれほど長いあいだ訪ねることもしなかった土地にたいして、いま嘆き悲しんで何の役に立つというのだろう。むしろ私は、ある特定の場所を回想したり再訪したりしたときに、この世に永続的なものなどなにひとつなく、頼ることのできる不変の拠り所も存在しないのだ、という明白な事実によって私たちの意識が貫かれたときに感じる、あの締めつけられるような心の痛みを喚起しようとしたのだった。

(『サンパウロへのサウダージ』3頁〜4頁)

ちなみに、『サンパウロへのサウダージ』に収録されたインタヴュー「ブラジルから遠く離れて」でレヴィ = ストロースは独自の世界観を表明している。

未来についてはいかがですか?

 その種の質問はしないでください。今の世界は、もはや私の属する世界ではありません。私の知っている、私の愛した世界は、人口25億の世界です。現在では60億を数えています。これはもう私の世界ではありません。そして、90億の男女が住む------たとえ、私たちを慰めるためにそれが人口増加のピークであると言われたにせよ------明日の世界について、何か予言することなどとうてい不可能です。

2005年2月22日

(113頁)