『メカスの映画日記』と『Movie Journal』


写真右が『メカスの映画日記 ニュー・アメリカン・シネマの起源 1959〜1971』(asin:4845974061)で、左の原書『Movie Journal The Rise of a New American Cinema, 1959-1971』の翻訳本である。『メカスの映画日記』に慣れた目で、古書で手に入れた原書を初めて見たときの驚きを忘れない。全く別物と言ってもいいくらいに、本としての存在感が余りにも違う。装幀やページ・レイアウトだけでなく、そもそも日記本文の意味内容さえ違うのではないか、と「錯覚」を覚えるほど両者は違う。逆に言えば、一冊の本を翻訳出版するということは、こういうことなのだ。『Movie Journal』がいわば根付いていた土地と日本語環境の大きな違いが、このような原書と翻訳本のあいだの大きな違いを生む。『Movie Journal』の種子か苗が日本語の土地に根付くためには、『メカスの映画日記』、あるいはそれに近い姿を取る必要があった。

ただ、払拭しきれない違和感がくすぶっている。それは『Movie Journal』にあって『メカスの映画日記』に欠けるものに関わる。ひとつは、『Movie Journal』が持つ安っぽさ、痛々しさ、寒々しさ、いかがわしさの雰囲気である。それは実際にメカスが当時1959年から1971年まで呼吸していた、晒されていた空気に相応しいと感じる。その意味で『Movie Journal』が普段着だとすれば、『メカスの映画日記』はよそ行きの出で立ちである。

もうひとつは、『メカスの映画日記』には物理的に継承されなかったものがある。『Movie Journal』に載っている十二点の図版である。この点について『メカスの映画日記』では「凡例6」に「原書本文中に挿入されていたイラストレーション十二点はすべて割愛し、代わりに、各年代の状況を示すため、メカスの写真を中心に中扉ページを構成した。」と記載されている。

なぜすべて割愛したのか、その理由については直接語られていない。日本の読者向けに「代わり」の措置が取られたことが語られているだけである。しかし、本文中のイラストの性格と「中扉」の性格とは異なる。中扉を工夫するのは良いが、それがイラストを割愛する理由にはならない。なぜなら、原書『Movie Journal』本文中の図版はそもそも各年代にメカス「が」目にとめた、メカスの記憶にとって大切なものであるはずだからである。それらは日記本文と対等なメカスのいわば「視線」を代表する貴重な資料でもあると思う。












実際に十二点のイラストレーションを見るだけでも、当時の「空気」が直接的に生々しく伝わってくる気がするのは私だけだろうか。