書体や活字など、文字そのものへの関心は、知識や情報のいわば「下部構造」、「無意識」への関心から発しているようだ。文字の造形には、朗文堂の片塩二郎氏のいう「タイポグラフィ」、すなわちリテラシーを含めた「知の領域」の幾多の層が畳み込まれていて、それを知ることは一種の「知の考古学」であると言えるだろう。
それにしても、アラビア文字の書体はもちろん、欧文書体も、そして身近な和文の書体に関しても、私は無知に等しいことを痛感している。例えば、見慣れているはずの、2001年幕張のMacworld Expo/Tokyoでスティーブ・ジョブズが「クール!」と発表したことでも知られるMac OSXに標準搭載されている「ヒラギノ(柊野)」書体の由来や動向についてすらよく知らなかった。
字游工房代表の鳥海 修氏によれば、ヒラギノの設計思想の出発点は、流れるような筆使いで、線が強くて、勢いがある平安朝の連綿仮名(れんめんがな)にあったという。しかも、そのような由来の書体が、近年ヨーロッパにおいて欧文の本文組に使用される場合が増えているという報告さえある。
書体に秘められた文化の記憶が言語を跨いで無意識に継承されるということが起こっているわけである。