府川充男著『組版原論』(太田出版、1996年)は内容もさることながら、その本自体に注ぎ込まれた当時の組版知識・技術の最高峰、最先端が知れるという面でも大変興味深い。組版を論ずる本である以上、その本自体の組版の質も当然問われる。そのことに無自覚に組まれた本も少なくないようだが、『組版原論』は「ここまでやるか!」と思わず感嘆の声を漏らしそうになるほどの自己批評精神と実験精神に貫かれた稀有な本であると強く感じる。
その一端を奥付の上に記載された「組版データ」に窺うことができる。
「組版データ」の一部
これを写しながら、見やすく整理しているだけで、色々と勉強になる。
DTP進行部分
オペーレーション・ソフト
漢字 Talk 7.5.1
アプリケーション・ソフト
QuarkXpress 3.3
本文(「BIBLOS外字逍遥」以外)使用書体
海舟明朝(ビー・ユー・ジー)
<拗促音小字・丸括弧類等一部記号・一部漢字>
岩田細明朝体(ビー・アンド・アイ)他
<漢字外字>
BIBLOS細明朝外字(DTPセンターBIBLOS)・平成明朝W3外字(Adobe)他
<欧文・数字>
A Garamond(Adobe)
本文(「BIBLOS外字逍遥」のみ)使用書体
BIBLOS細明朝外字(DTPセンターBIBLOS)
見出使用書体
岩田中呉竹体(ビー・アンド・アイ)他
基本版面
天側マージン 10 mm、小口側マージン 27 mm、喉側マージン 19.5 mm、罫下マージン 26.5 mm
基本組版規格
14Q、トラッキング値0、30字詰、行送り24Q、ぶら下げオン、一段23行、二段組、段間 10.5 mm、和欧文間スペース 25パーセント
写植進行部分
使用書体
[端書・目次]
<漢字・約物>
石井太明朝体(写研)
<仮名>
東京築地活版印刷所前期五号活字仮名(株式会社聚珍社ディレクターズ・フラクション、試作品=未発売)
<欧文・数字>
ガラモンド(写研)
[題扉]
<漢字・仮名>
秀英明朝体・岩田太ゴシック体・石井太明朝体(写研)
<欧文・数字>
ガラモンド・ボールド(写研)
{<平仮名>
東京築地活版印刷所一号太仮名}
{<平仮名・片仮名>
製文堂四号太仮名}
[凡例]
<漢字・約物>
石井太明朝体(写研)
<仮名>
江川活版製造所三号行書活字仮名(株式会社聚珍社ディレクターズ・フラクション、試作品=未発売)
[百七十七頁図版題]
<漢字>
岩田太ゴシック体(写研)
{<仮名>
大日本印刷十六ポイント・アンチック活字清刷}
写植印字 前田成明(スタヂオD)
こうしてみると、この本のタイポグラフィ、すなわち「構造設計全般」の輪郭をおおよそつかむことができる。「漢字 Talk 7.5.1」は非常に懐かしい。実は昔「QuarkXpress 3.3」を買ってもっていたが、結局使いこなすには至らなかったという恥ずかしい過去がある。「海舟明朝体」? 初めて聞く名前だ。少なくともウェブ上には海舟明朝体に関するまとまった情報は存在しないようだ。
漢字に「石井太明朝体」、仮名に「東京築地活版印刷所前期五号活字仮名」というセットで組まれた「端書」と漢字に「石井太明朝体」、仮名に「江川活版製造所三号行書活字仮名」というセットで組まれた「凡例」は、明治からこのかたわれわれが属するあの「築地体パラダイム」が孕む相克の二層を再現、演出していて興味深い。仮名が「二重の闘い」のなかで身をよじらせているようにさえ見える。
その「端書」にも本書の組版に関する言及がある。
QuarkXPress のやや不得意とするぶら下げありモードとしつつ、異Q数混植(並びに[海舟明朝とは「仮想ボディ」内の文字面の位置が異なる]BIBLOS外字等の混植)に伴う行頭・行末位置補正の必要により各行単ボックスを原則としつつ編輯子の御示唆に遵ってルビを多用したため、一見単純に見えてもQuarkXPress による書籍本文組版としては、実のところかなり複雑なジョブに属するであろう。作成したマスター・ページは五種類、基本的に海舟明朝と Adobe Garamond から成るフォント・セットを用いた(一部の文字・記号についてのみ「検索・置換」のメニューより海舟明朝から岩田細明朝体に置換している)。普通紙に原寸出力したものを版下とし、線畫[せんが]類はその紙に複写を直接アナログに貼り込んだ。写真類に関しても無理にDTP進行に持ち込まず(技術的には十分可能であったが)、一部を除いて在来工程で処理することにした。(2頁)
これが書かれてから現在に至る十年余の間に「写植進行部分」がどんどん「DTP進行部分」に吸収されてきたと理解していいのかな。実はいくつかの理由から「写植進行部分」にすごく興味があって調べている。