文字、見えないグリッドを探して


印刷された文字やディスプレーに表示された文字ばかり見ていると、時々無性にこの手で文字が書きたくなる。試みに一枚の白紙に向かって、ペンを持ち、何か文字を書こうとしてみる。「文字」と書こうと決めて、白紙を見つめて、どこに最初の点を打とうか、しばしためらう。ペン先が紙に触れる瞬間はドキドキする。カメラで文字が生まれる瞬間を撮影しようと、ファインダーを覗きながら書いてみた。手が震える。ペン先を紙から離すまで、インクの滴の痕は見えない。点を打つ瞬間とそれが見える瞬間にはズレがある。最初の点を打ってしまえば、残りの線はカラダに染み付いた速度とストロークで半ば自動的に書けてしまう。

こうして手で文字を書くことを改めて自覚的に行ってみると、不思議なことになぜか「宇宙」のことをイメージし始めている自分に気づく。その「宇宙」の説明は難しいが、とりあえず、今ここでこうしている自分を位置づける座標のなかで最大のスケールのものといえるだろうか。生きていることを測る格子、グリッドみたいなもの。だからそれは平面を黄金比などで分割するグリッドではなくて、もっと深いというか、当然「時間」も関わるので、四次元的というか、動的フレームというか、動的グリッドというか、そんな感じの秩序。

mmpoloさんが紹介している山本弘の書などを見るときにも強く感じることだが、文字を書く時には無意識のうちに瞬時に膨大な数のグリッドが記憶のなかから喚び出され、参照されていて、優れた書家はそのうちもっとも根源的なグリッド、表象不可能ないわば宇宙的グリッドに沿って筆を走らせるのだろうと妄想する。