情報の未来形

情報はもっと自由にオープンにつながるはずだ。そんな情報の未来形について考えています。前回「分類」を糸口にして、「私」自身が新鮮な分類そのものになる、と話したこともその一環でした。情報はまだまだ不自由に分類されている。あるいは十分に分類されていない、と感じているからです。そんなちょっと矛盾したようにも聞こえるかもしれないことをずっと考えています。

それは人間の側から言えば、新たな社会性が強く求められているということだと思います。そしていよいよそれが実現されうる環境が整いつつある、というのが私の現状認識です。そしてそのためには私自身が率先してそんな情報のための魅力的なブランク(空白)あるいは余白に近づく必要があるのではないか……。

そんな情報の未来像を微かにかいま見せていると最近感じているのが、TwitterTumblrです。


http://twitter.com/home

Twitterにおけるコミュニケーションの特徴についてはこちらを。

これを読んで、「生活雑音」の記録とその連鎖には、情報が持つ従来の価値の遠近法を逆転させる力が秘められているのではないか、とふと思いました。


http://www.tumblr.com/dashboard

Tumblrにおけるコミュニケーションの特徴についてはこちらを。

これは、Tumblrには情報どうしが「自己組織化」しているのではないかと「錯覚」するほどの動向が感じられ、またそれは真の独立心を持った人たちのコミュニケーションのあり方、つまり新しい社会性の誕生の兆しなのでないか、という感動のレポートです。ちなみにこのレポートにはいみじくもかのid:bookscannerさんによる書籍電子化動向探究への言及があります。