グーグルの狙いはまだ見えていなかった

明日から三泊四日で奄美群島に行ってきます。(大学はちょうど大学祭で授業はなし。学生たちが飲めや歌えや踊れやのどんちゃん騒ぎをしている間に私は好き好んで異界の探究に出かけてきます。)今福龍太さんが主催する「奄美自由大学」に参加するためです。観光ではなく、研修出張です。大学、あるいは学びの場の可能性を探ると同時に、日本(語)的記憶の古層を検索=想起することによって、日本(語)的記憶を世界の新しいヴィジョンの下に書き換えることになるような体験をしてくる予定です。(叔父の火葬中にずっと考え続けていたことの答えは奄美にまだ残っていると言われる「洗骨葬」の現場で得られるかもしれないと感じています。)10/06から10/09までの間は、おそらく完全にoff the gridになるので、この日記も中断するでしょう。
ネットから離れる前に、ひとつだけ書いておきたいことがあります。というのは、異様な気合いの籠ったbookscannerさんのここ数日のエントリー(本の電子化をめぐるグーグル周辺の「聞き込み捜査」報告)がどうも気にかかっていたからです。キーワードは「Image Coordinates」、つまり文字像座標(情報)。その詳細は本文を参照してください。技術の細部が非常に面白いです。
2006-10-02「Googleは、どこまでも冷静だったよ」
2006-10-04「喉から手を出してまで、UCが欲しがった”Coordinates"とは?」
2006-10-05「Googleが目指すは、「ページの切り売り」なんてショボいもんじゃない」

私が理解した限りでは、グーグルでなければ蓄えられないレベルの情報と引き換えに大学(図書館)はグーグルに本を提供するという一見単純な交換は、実はその情報のレベルが下るに従って、グーグルの狙いを見え難くしている。一口に本の電子化と言っても、デジタルデータ化された「本の単位」は、いくらでも細かくなる。「本丸ごと一冊分」から、「ページ」、 「単語」、そして「文字」、さらにX。そして単位が小さくなるにつれ、情報量は桁違いに大きくなる。
bookscannerさんによれば、今のところ、グーグルと諸大学(図書館)との間の取引単位は「文字」どまり、ということだが、それにしても、文字像単位でタグ付けされる膨大な情報(その具体的な用途は純粋にアカデミックな範疇に納まるものなのかどうかも私には不明だが)を惜しげも無く引き渡してまでも、とにかく本を欲しがるグーグルの本当の狙いは何なのか?bookscannerさんの捜査はいよいよ迷宮の中心に近づいてきた。
bookscannerさんの報告を読みながら、あることをぼんやりと感じていた。
一流の詩人や哲学者しか向き合わないと思っていた文字単位で複雑相互に繋がり合う情報の地平で、グーグルがからむITビジネスの最前線は動いている……。ただし、私が思うに、超一流の詩人や哲学者は文字をすら噛み砕いて、……、いや、今は止めておこう。
それにしても、bookscannerさんの書きっぷりはプロフェッショナルだなあ。

奄美から戻ってきたら、「迷宮」は雲散霧消しているような予感を抱きながら、私は残りのパッキングのためにoff the gridする。

そうそう、もうひとつだけ、メモっていた気になる言葉があった。コピペしておこう。茂木健一郎さんの『クオリア日記』の数日前のエントリーの言葉で、茂木さん一流のグーグル的な世界への「アンチ」が籠められているような気がした。

結局は多様性こそが救いになる。人生も文化も
モノカルチャーは良くない。
 森林は容易に見通すことができないが、だからこそ
多くの生きものたちが根付いている。
 不可一覧性と多様性はおそらく同じこと。
 世界の中の簡単には見ることのできない、隠された
ものをこそ思い、その豊饒さを味わいたい。
2006/10/04「不可一覧性と多様性」

本当の「敵」は誰なのか、何なのかは、自分が本当に求めているものは何なのか、による。美崎さんが想起させてくれたように、「汝自身を知れ」(ソクラテス)という声にも導かれて、私は明日早朝奄美に飛び立ちます。