山崎さんが、死という究極の「別れ」を念頭に、日々積み重ねられてゆく小さな別れの重みについて書いている。必ずやってくる「別れ」までの時間を一刻も無駄にせず有意義に過ごすべし、と。
- 「やってくるものなのだが」(『Fere libenter homines id quod volunt credunt』2008-06-05)
平民さんが、会ったこともなく、どちらかと言えばイケスカナイと感じていたある「日記書き」の死をめぐって、私たちが依って立つ生の脆い足場を見つめて書いている。「生に執着」すべし、と。
そして私は映画にもなったキューバの作家レイナルド・アレナスの自伝『夜になるまえに』を思い出しながら、
- 作者: レイナルドアレナス,Reinaldo Arenas,安藤哲行
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 1997/05/01
- メディア: 単行本
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別れ=死=夜の自覚に比例する生の炎の大きさのことを考えていた。
星のままでは何かが決定的に欠けている。そうだ、星は遠くから眺めているだけだから星なんであって、もちろん、星を眺めることは大切なことだけど、その先があるはずだ。リアルに燃え動くこと。星も近寄って間近に見れば、触れてみれば熱い、火傷するかもしれない炎が燃えさかっているはず。そういうわけで、一見、別れ=死=夜からはかけ離れているように思われるかもしれないけど、実はそのことがよく分かっているから本人も燃えて動いている、ブログも文字通り燃え盛っているナルちゃんこと金城さんの動きに注目。