異邦の身体

異邦の身体

異邦の身体

「個人」を身体の最も深いところで捉まえたい、そして個人がある意味でその固有の身体を超える瞬間の意味を捉まえたいという関心から色んなものを読みあさっていて、アルフォンソ・リンギスの『異邦の身体』のなかのある箇所に立ち止まっていました。

 伝統的に「彼(he)」という代名詞は、性やジェンダーを明確にせず、ただ個人を指し示すものとして用いられてきた。文法的には「彼」は無徴の名辞、「彼女(she)」は有徴の名辞と見なされてきた。修辞学上「彼」は男性として徴づけられており、この用法においては女性的なものが無視されている、とフェミニストの書き手は論じてきた。彼(女)たちが促進してきたのは文法上、修辞学上の改革であり、その場合の「彼」は男性として徴づけられ、「彼女」は女性として徴づけられる。
 しかし個人とはたんに男性や女性であるだけではない。再生産を司る器官が機能不全であったり、それを欠落させていたりする、両性具有的、性横断的、シャム双生児的なものでもある。彼(女)たちはたんに男性ないし女性であるだけでなく、ジェンダー横断的、多数ジェンダー的、非ジェンダー的であり、サイボーグであり、狼人間であり、天使である。彼(女)たちがつくりあげてきたのは、動物、両性具有的有機体、植物、川、機械、精霊、死といったものとともに、種を横断して自らの組織化と官能性を結合させるような記号論と文化なのだ。
(14頁)

リンギスが語るような、性やジェンダーや種などのカテゴリーによる重層的な決定から逸脱、漂流して動物や植物や雲や空や風や死とさえ交わり接合するような語彙で語られる世界に強烈に惹かれる自分がいます。色んな事情から結果的にせよ、そんな世界がブログ圏のあちらこちらで再生されていることに密かに注目しています。