いざ北へ2008その4 一穗(いっすい)も招くよ



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積丹半島の古平を故郷に持つ吉田一穗(よしだいっすい, 1898–1973)というとびっきり「変な」(魅力的な)詩人がいたのをご存知でしょうか。どれくらい「変」だったかはまずはこの人の話を聞くのがいいでしょう。流石に配慮が行き届きかつ要を得た見事な解説です。

津軽海峡ブラキストン線を越えて北海道にやって来るということ、北海道に生まれ育ったということ、そして北海道に住んでいるということは、吉田一穗の「超日本人的な」とんでもなく熱い心意気やとんでもなく大きなスケールの展望にどこかで触れ(てい)ることだと思うわけです。もしそうでなければ、詰まらないですしね。

今から30年ほど前に、詩人の吉増剛造は数万年におよぶ民族的記憶を喚起する吉田一穂の詩篇の中にわれわれにとっての根源的な「空(うつほ)」、「孤独感」を発見しました。それが上の心意気やスケールの発生現場だったと思うわけです。

五千年か一萬年か幾萬年か黒潮に沿って北上しつづけてきた人達の、後姿にふと淋しさがみえ(はじめて)いるようにおもい、背中の空洞に気づいて立ちどまりそして振りかえることの困難、その途方もない孤独感について知らず知らずに考えがおよんでいった。

なにものによっても癒され、みたされることのない空洞が...

激しい「泥土にもがく日々の陰惨な」風が吹き、...「堪え難い飢渇」、やはり空(うつほ)、空洞が口を開いている。この風が吉田一穗氏の胸中、あるいはアイヌ語で「赤い岩」という意味だという吉田一穗氏の故里「古平」の海鳴りであるのだろうか。吉田一穗氏には「白鳥古丹」「積丹半島」などの美しいエッセイがある。詩人の椅子はこの海邊の岩角あたりに置かれていて、その背がいまも何か語りかけるようだ。
吉増剛造「吉田一穗を讀む」、『定本 吉田一穂全集I』附録1979–5)

そんな魅力的な「椅子」に腰掛けに来ませんか。

というわけで、ささやかな夏の出会いへのお誘い、第四弾でした。過去三回のお誘いはこちら。

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ちなみに、積丹半島にある吉田一穗の故里「古平」は、実は私のゼミ生H君の故郷でもあります。彼は家業の水産加工会社の跡(三代目)を継ぐことを幼少の頃より心に決めていたという芯のある若者です。現在彼は過疎高齢化の進む故郷の町を元気にすべく、古平の自然と歴史を多方面から調査しながら、古平の斬新なイメージを立ち上げようと奮闘しているのですが、その過程で彼は吉田一穗を再発見することになりました。稀代の詩人、吉田一穗の精神的遺産を、現代の古平にどう活かすか。それがH君にとってひとつの課題にもなっています。