白竜神の消息

以前、川っぷちに建つ謎の祠は水の神である白竜神を祀っていたという事実まで突き止めた。



祠のある中村牧場に向かう山道

竜神のその後の消息を確かめるために、中村牧場を訪ねようとした。しかしすでに牧場も、中村家も存在しなかった。

祠から一番近い家を訪ねて、ちょうど畑仕事をなさっていた方に、表札がなかったこともあって、てっきり中村さんだと思って声をかけた。するとまったくの別人で、中村さんはもう10年前に亡くなり、中村牧場もすでに存在しないことを教えられた。私が馬頭大神や白竜神の祠のことを調べていると聞いて、その方は中村さんのご子息たちはみなこの土地から離れたが、実弟の中村さんが近所に住んでおられるから訪ねてみるといいと助言までしてくださった。

中村さんご夫婦は親切に応対してくださった。お二人からうかがったお話では、やはりお兄さんは10年以上前に亡くなられ、息子さんたちも全員町に下ったという。中村牧場は存在しない。弟の中村さんご自身は仕事上では中村牧場とは関係なく、農業をやってこられた。馬頭大神の由来は私が調べた通りだった。そして祠についても白竜神が祀られていたのは確かだった。さらに、やはりその白竜神はどこかの寺、おそらく盤渓のどこかの寺に「返された」らしいという。しかし確かではないと。それを聞いて一瞬以前訪ねてその波題目の「南無妙法蓮華経」と「法龍水」と名付けられた正しく「龍=水」を祀る祠(ほこら)のある盤渓山の妙福寺(「呪文、暗号(cipher)?」)ではないかと思ったが、しかし、「たしか尼寺じゃなかったかしら」という言葉が奥様の口から出て、混乱した。また以前から少しひっかかっていた、祠のある場所からさらに奥まった場所にある布袋神社に返された可能性はきっぱりと否定された。

中村さん宅を後にして、私はもう一度祠の存在をこの目で確かめに行った。草木が生い茂り、祠は部分的にしか見えなかった。ウグイスの囀りが時折聴こえた。

もしかしたら何か情報が得られるのではないかと感じて、祠とは直接関係のないことが分かった布袋神社も訪ねてみた。するとちょうど鳥居の近くでご住職さんが雑草を抜いているところだった。声をかけて、事情を話し、白竜神の祠についてうかがってみた。興味深いお話をいろいろとうかがうことができた。中村牧場では昔は川から水を引いていたから、川縁に竜神を祀る祠を建てたのだろう。布袋神社では祠の白竜神を受けてはいない。そもそも布袋神社は八意思兼神を祀っている。竜神を受けることはありえない。それができるのは水を祀る大きな神社、水天宮ではないか。

そういうわけで、祠に祀られていた「白竜神」は、盤渓のどこかの寺あるいは水天宮のどちらかに「返された」ということまで明らかになった。

正直なところ、白竜神の消息もさることながら、中村牧場の消息の方が感慨深かった。

*1:ちなみに、水天宮の神仏融合の由来が面白い。水天宮は神社だが、そもそも「水天」は仏教の神(天部)だった。しかし「水天」の信仰は「水」の字つながりで「天之水分神国之水分神」(あめのみくまりのかみ・くにのみくまりのかみ)と習合していたらしい。神仏習合である。さらに仏教以前に遡ると、「水天」のルーツは、もともとは古代のイラン・インドのヴァルナという最高神であり、バラモン教聖典ヴェーダ」の神話にも登場し、ゾロアスター教ではこの神をアフラマズダとして称えたとされる。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5参照。