メキシコの思い出


2005年3月19日撮影。

アメリカ滞在中に一番衝撃を受けたのは、メキシコに足を踏み入れたときだった。国境という仕切り線(リメス)によって地続きの土地がものの見事に分断されて、その両側にはまるで違う二つの世界が隣り合っていた。その日私は午前10時くらいにサンディエゴのホテルを発って、南へ向かった。国境の向こう側のティワナという町に行くのが目的だった。


2005年3月19日撮影。

国境手前のエリアでレンタカーを降りて、徒歩で国境を超えるつもりだった。ところが気づいたらフリーウェイはいつの間にかメキシコとの国境寸前だった。慌てて脇道に逸れて、国境手前のエリアの駐車場に向かった。カメラは置いて、そこの有料トイレで用を済ませてから、大勢のアメリカ人観光客と一緒に鉄のゲートを通過して、私はメキシコに入った。

眼を疑うような光景がそこには広がっていた。今しがた後にした合衆国とここメキシコの落差に目眩がした。こんなことがなぜ許されるのか。こんなことに甘んじなければならない世界は間違っている。そう確信した。

そのティワナの町をアメリカ人観光客はどこへ向かうのか、いかにも観光客相手の店が連なる通りを明るい表情で足早に歩いていた。私は彼らとは別れて、裏ぶれた通りを選んで歩いた。当時の私は髪の毛は伸び放題、髭面で、上下よれよれのジーンズという格好だった。こぎれいなアメリカよりもよほど心は落ち着いた。すれ違うメキシコ人にも親近感を覚えた。懐かしさの感情がこみあげた。

空腹を覚えて、タコスでも食おうかと思って、屋台を大きくしたような店に入った。給仕のまだ若い女性に英語は通じなかった。チキンが通じない。メニューはスペイン語だった。仕方なく鶏が羽ばたく真似をした。それでも彼女は怪訝な表情のままだった。たまたま隣席にいたカップルが私と彼女の滑稽なやり取りを面白がって見ていたらしく、スペイン語で通訳してくれた。

決して清潔とは言えないテーブルの上に、初めて見る小さなオレンジのような果物が無料でバスケットに山盛りになっていた。隣席のカップルは、美味しいから食べてご覧よ、と勧めてくれた。勧められるままに私はそれを齧っていた。味が思い出せない。

合衆国に戻るとき、入国検査に臨む数百メートルの行列に唖然とした。こりゃ、何時間かかるんだ。その行列は途中で二股に別れていた。前に並ぶ老夫婦に尋ねた。どっちに行けばいいんでしょう? さあ、分からない、という返答だった。流石にちょっと不安になった。しかも両手首を縛られた虚ろな目つきの痩せた若者が恰幅のいい係員に引き立てられるように私たちの脇を連行されて行く。その若者はスペイン語で聴き取れないことをわめいていた。

結局、誘導されるままに右側の列に並んで進んだ。入国検査の係員は日本のパスポートを見るや否や、どうぞ、と難なくゲートを通してくれた。「日本」は合衆国の一部なんだ、少なくとも合衆国側なんだと、当たり前のことを再認識した。そうして後にしたメキシコのことが忘れられない。