火曜日の朝の散歩でよく出会う人生の先輩がいる。「もう70歳すぎてるから、犬に死なれたショックは大きくて、未だに女房は立ち直れないでいるんだよ。」そう語るFさんは、出会うたびに「ふーちゃん」と声をかけながら風太郎に駆け寄って来てはひざまずき、毛だらけよだれだらけになるのをまったく厭わずに、風太郎とスキンシップしまくる。「そうか、そうか、頑張ってるなあ。」その間風太郎は尻尾を振りまくる。昨日もそうだった。
Fさんによれば、最近家の中で飼っていた犬が亡くなった。夜はご夫婦と一緒に寝ていた。奥さんはそれ以来体調を崩され、毎週火曜日通院しているという。奥さんを病院まで送っていくために家の前で車の準備をしているところによくはちあわせるのだった。その犬の顔が風太郎にそっくりだったらしい。それで、ご主人は風太郎をみかけるたびに、満面の笑顔で風太郎に接してくれるのだった。ところが奥さんは思い出すのが辛いらしく、離れたところから、その様子を静かに眺めている...
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家族によれば、最近の私は自分では気づかないうちに時々「ふーちゃん、ふーちゃん」とうわごとのように、心ここにあらずの態で呟いているらしい。そんなとき、場合によっては次のように会話が進行することがある。あなたは、私や娘たちより、ふーちゃんのほうが大事なの? 特に朝起きて間もないときにそんなふうに詰問された場合には私は躊躇なく、そうだよ、と答えてしまってから、しまった!と思ったときにはすでに遅い。人生は私のペースだけで進行しているわけではないという真実を痛感する瞬間である。殺伐とした空気のなかで、だって、... という言い訳の言葉はどこにもだれにも届かずに、宙に漂う。私の視線も宙に漂う。あなたって、そういう人なのよね。そのうち皆にそっぽ向かれるわよ。ふーちゃんと二人で暮らせばいいんだわ。