滞米中は研究目的の他に、アメリカの大学における教師の授業への姿勢を知りたいということもあって、実際にはほとんど学生に戻った気分で時間をつくっては色んな講義などに出ていました。そんな中でとりわけ印象深かったのは、セールとジラールによる特別講義、一種の対座とローティーの講義でした。三人とも日本でも翻訳を通じてよく知られている人たちです。そのときの記録があります。
先ずは、セールとジラールの話。
5月24日月曜日午後5時からは、フランス語とイタリア語学科共催の「ミシェル・セールの講話+ルネ・ジラールの応答」に出席してきました。二人ともこちらの最終学期=春学期にフランス語学科の授業を担当しています。セールは「フランスの文学と哲学の話題」、ジラールは「暴力と文化:ソフォクレス、シェイクスピア、ラシーヌ、キリスト」という授業です。授業はフランス語なので、英語で手一杯の僕は出席するのをあきらめていました。セールは哲学者ですが、こちらの大文字の哲学科のテリトリーには属しません。哲学=分析哲学だからです。二人とも高齢で、おじいちゃんという第一印象でしたが、老いと果敢に闘うような情熱的な議論を展開していました。パウロのアクチュアリティーに関する話でした。学生時代に本を通じてその存在を仰ぎ見るように想像していた二人が老いて後、今僕の目の前で二人そろって、親密な雰囲気で、議論している。感慨深いものがありました。しかも、テーマがあのパウロ、回心の後異邦人に福音を伝え、律法によらずに信仰のみによる義を説き、ローマで殉教の死を遂げたとされるパウロの現実性についての熱い議論だったのでした。セールの報告もジラールの質問も聴衆との質疑応答もすべてフランス語でしたが、なぜか英語よりも音声は聞き取れたのが不思議でした。もちろん意味は1割くらいしか分かりませんでした。でもこちらの標準的な哲学の話よりも伝わってくるものが確かにありました。共感というものでしょうか。しかしそれでもなお今の僕にとってはもはや過去の二人でした。古いヨーロッパの後光の中に二人は存在しているように感じました。パウロの現実性を現在の僕の現実性に翻訳することはもはや現実的ではないような気がしました。
蛇足ですが、セールとは講話の前に遭遇しました。僕が文学部というか、こちらでは文学、文化そして言語学部の建物、以前紹介したメイン・クァドの一区画の出入り口を入ってすぐの掲示板をチェックしていたら、自転車ごと中に入って来ようとする白髪の老人がいるではありませんか。苦労しているようなので、手伝ってあげようと思って、一歩近づいたら、あー、セールだと気がつきました。彼もこちらを見ています。傍には他に誰もいません。僕が一瞬躊躇した間に彼はうまく自転車ごと中に入って来ました。そして僕が立っていたすぐ後ろ、掲示板の向かい側にある部屋に自転車ごと入ろうとしてまた苦労しています。僕はまた手伝ってやろうと思って一歩近づいたら目が合って、一瞬躊躇している間に彼は部屋の中に入っていったのでした。そうやって僕はセールと視線を4、5回交わしたのでした。疑い深い目つきの人だな、というのが第一印象でした。格好は地味で質素なものでした。こちらはこの1週間着た切り雀の上下黒にジージャンの上着とエクァドル製のバッグを肩からぶら下げている格好で、最近は鏡に映った自分の姿を見る度に作家の中島らもさんみたいになってきたと危惧しているような風情です。セールが、なんだこいつは、という目で見るのも無理のない僕でした。ジラールは俳優の三國連太郎にそっくりでしたが、もう少し凶暴にしたような感じでした。
会場の教室では僕は前から2列目の真ん中くらいの席を陣取りました。黒板前に大きめのテーブルと椅子が二つ用意され、セールは椅子に腰掛けたまま赤い紙のフォルダに挟んできたタイプ原稿20枚くらいを老眼鏡をかけたりはずしたりしながら話しました。セールの話が終わると、最前列でセールの原稿のコピー(多分)をチェックしていたジラールがゆっくりと立ち上がって前に出て、セールの隣の椅子に座って静かなゆっくりとした口調で質問し始めました。二人とも時々聴衆に向かって鋭い眼光を向けます。僕の左隣の女子学生はひっきりなしにフランス語で筆記していました。僕以外の30人ほどの聴衆は皆おしゃれな格好をした白人です。しかも皆会話はフランス語。かなり場違いな雰囲気でしたが、気にせず最後の最後まで、教室に居座りました。セールと二人になって、英語で話しかけたかったのですが、おしゃれなフランス語学科の男子学生と女子学生のカップルがセールをつかまえて延々と話しているので、僕はあきらめて教室から出たのでした。あまり未練はありませんでした。
(「カリフォルニア通信12」より)
次にローティーの授業の話。
ローティーの授業は哲学科と比較文学科の共通科目になっているので、こちらの他の授業に較べて出席者が40人くらいと多く、しかも毎回知らない顔がいたり、僕以外にも、中国、ヨーロッパからの訪問研究員が6、7人出席しています。面白いのは、毎回必ず質問する訪問研究員らしい中年の女性がいて、彼女は質問しているうちにだんだん英語がドイツ語になるのでした。怪訝な面持ちで、しかしそばに近寄り一生懸命質問の意味を掴もうとするローティーの姿は印象的でした。
日本の大学の感覚では演習室規模の空間に、教師用以外に机はなく、直径20センチくらいの小さなテーブルが肘掛けにくっついた椅子だけが30脚ほど乱雑に詰め込まれています。そこがいつも超満員になり、遅れてやって来た者は床に座ります。こちらでは、基本的に教室はせまく、そこが親密な関係というか議論を誘発せずにはおかない空気を作り出すような考えに基づいて設計されているように感じます。ほぼ時間通りに教室にやってくるローティーは椅子の間を掻き分けるようにして正面の教師用の机に辿り着くとそこに大きな革の鞄を置きます。
授業の内容はローティー流の西洋哲学史です。分析哲学とロマン主義哲学という二つの流れを基本的な視座にして、古代ギリシャから現代までの主要な哲学者たちの思想を解説します。煎じ詰めれば分析哲学はプラトンの脚注、ロマン主義哲学はニーチェの脚注であるという、ホワイトヘッドの見方を踏襲したオーソドックスな枠組みの授業です。これは哲学が専門ではない学生への配慮です。しかしその内容とスタイルは、毎回が出席者との質疑応答にかなりの時間を割くもので、どんなレベルの質問に対しても、ローティーは極めて真摯に応答します。そして彼の応答がオーソドックスではない、ローティー独自の立場を貫く内容で大変興味深いものです。8回目の授業でようやく中世を終えました。中世に入ってからは、哲学はキリスト教と深く絡み合って自然神学、理性神学になりますが、そこで中心的テーマである「神」に関する議論の解説に入ったときには、出席者から質問が相次ぎました。
僕が気になったのは、出席者の多くが「神」に関する中世の議論(神の存在証明)を非常にナイーブな今や時代遅れの荒唐無稽な議論とみなしている節が感じられたことです。当時の議論を小馬鹿にしたような笑いが何度も聞かれました。ローティーさえそうでした。しかし僕は実はそんな単純な議論ではなかったはずだと思っています。神に関する議論は他の一般的な議論とは水準のまったく異なる議論です。つまり、普通に考えると矛盾に陥ってしまうような非常に高度な議論のはずです。そのうち、単なる質問をして終わりではない議論をローティーとしてみたいと思っています。*1
(「カリフォルニア通信23」より)
ローティーに関しては、講義の最終回で、ある学生が、あなたはこういう授業をやっていて何が楽しいのか? というような内容のちょっと無礼な質問をしたときのやりとりをよく思い出します。そんなこと、よく訊けるよな、と思わず横槍を入れたくなるような、褒められたものではない態度の学生でしたが、ローティーはそれに対して毅然と答えていたのを今でもよく覚えています。こんな内容の言葉でした。
私はこうして諸君を前にして授業ができることを大変幸せに感じている。*2
その言葉で教室の空気は深く澄んで行ったような気がしたのを覚えています。日本で同じように教室で教える立場にもある私はいつでもそう言えるように心がけようとしているのですが、勢川さん(id:segawabiki)が昨夜コメントしてくださったように、忘れがちになります。