挽歌

何も隠されていないし、語り得ないことなど大したことはない。すべてはあっけらかんと見えている。ちゃんと見ようとする眼にはね。騙されないこと。もったいぶった物言いや、意味ありげな物言いには。無視すればいい。そんなものは。

一般論は危険だよ。もっともらしい主張の陰にはそいつの計算が隠れている。それはそいつの人生。でも、君の人生はそいつの人生の一部じゃない。君は君で人生の主役、主人公にならなければ。

人は節目節目で自分に「挽歌」を捧げなければならないのかもしれない。さらば今までの自分よ!ってね。「思えば遠くに来たもんだ」ってね。

あいつはこんなさびしい停車場を
たったひとりで通っていったらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはひるともしれないそのみちを
たったひとりでさびしくあるいて行ったらうか
宮澤賢治『青森挽歌』1923年8月1日)