写真と微分法

毎日、二階の東向きのベランダから空の様子を撮っている。雲の色と形は目まぐるしく変化する。私の心の色と形も目まぐるしく変化する。とりとめない。でも、そのとりとめなさがイイのだと最近強く思うようになった。

先日朝日新聞のあるコラムで分子生物学者の福岡さんが、フェルメール(Johannes Vermeer, 1632–1675)の絵の美しさの秘密は、同時代のニュートン(Sir Isaac Newton, 1642–1727)やライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646–1716)が考案した微分法の神髄に通じる、いわばとりとめのない、変化しつづける世界の、瞬間の姿、しかもそれが次の瞬間に向けて動き出そうとする姿を捉えていることにこそあるのではないかというような内容のことを書いていて、なるほど、と思った。

少し物足りなさを感じたので、生意気に敷衍してみれば、優れた絵画は、それが描く瞬間の前後に広がる多層のリアリティの全体と深みを生き生きとまざまざと喚び出してくれるような優れた「引き金」になっているということではないだろうか。


asin:4861930553

いずれにせよ、そういう意味では、HASHIの「アクション・スティル・ライフ」(10万分の1秒という「瞬間」を捉える独自の技法)の写真を引き合いに出すまでもなく、写真一般こそ視覚世界の微分法的技術に外ならない。フェルメールの生きた17世紀には不可能だった技術を現在私たちはごく当たり前のように使っている。

でも、思う。本当にイイ写真っていうのは、どんな写真なのだろう? 次の瞬間を予感させる動きを孕んだ写真? 複雑に変化し続ける現実総体を垣間見せてくれるような優れた「引き金」のような写真? そう言えば、フェルメールは、描画の参考とするためカメラオブスキュラという一種のピンホールカメラを用いていたという説があるらしい*1

そろそろ、ソフトボールの応援をしなければ。

よし! よくやった! 花咲か爺の応援も届いたようだ。