記憶の彼方へ005:あやめヶ原の祖母

母の死後、父は多くの人の勧めを断って、再婚はせず、ずっと一人暮らしを続けて、2004年に亡くなった。これは1983(昭和58)年、父が53歳の時に撮った印象深い祖母の姿。写真の裏には黒のボールペンで「厚岸 アヤメ ヶ原」と走り書きされている。ひと目で父の筆跡だと分かる。一度見た筆跡はなぜか忘れない変な癖が私にはある。筆跡で誰の書いた文字かが分かってしまう。筆跡鑑定士になれる素質を持っていると勝手に自負している*1。それはさておき、父は現在の私と同じ年齢の頃に、頻繁に祖父母をあちらこちらへ案内しては、二人の写真を撮っていたことを最近知った。何を思ったのだろう。その頃撮られた写真が沢山残っている。この写真はその中でも一際目をひいたものだ。私の記憶にもある祖母のある情感が滲み出ているいい写真だと思っている。今にも写真から飛び出して来て、「マサオ! こんな恥ずかしい真似はよしなさい!」と一喝されそうだ。天国で怒っているかもしれない。それもまたよし。背景の「あやめヶ原」には紫のあやめが点在しているのが微かに確認できる。

ちなみに、1983年は、ARPANETがIPに切り替わり、インターネットが胎動し出したり、浅田彰の『構造と力』が出たり、YMOが解散したり、色んなことが起こった面白い年である。

その年、私は26歳で、昼間は大学院生、夜は学習塾のアルバイトという生活だった。こんな歳まで生きていることは想像もしなかった。そして父が祖父母を厚岸のあやめヶ原に案内したことも全く知らなかった。