昨年、グレン・グールドのコンピレーション盤をつくる機会があって、70枚あるんだけど、彼の録音を全部聴き直した。同時にグールドの本を読んだりもした。グールド自身は北極圏へは行っていないんだけど、彼は、北にあこがれ、北をめざしていた人だった。行きたがっていたし、あこがれていた人なのね。実際北極圏の境目あたりまでは行ったらしいけど。*1
と語る坂本龍一は、グールドが果たせなかった思いを胸に、2008年9月25日北極圏に向かった。10月6日までの約10日間の探検で、彼は一生癒えない傷を残すような衝撃を受けたという。
ゴムボートに乗って海中の録音をしていた時、誰もいない海の上で回りを氷山に囲まれながら、ゆっくりと海流に流された時のことが今も思い出されます。
いまだにショックを受けています。
それが何かということを、なななか分析というか、咀嚼できない。
(中略)
どうするか?
ただ記憶として、体験として覚えておくしかない。例えば、親しい者が死ぬ、それは理解も分析もできない。
ただ、その身体、光景、悲しみなどというものを記憶しておくしかない。
そういうものです。
(中略)
巨大な氷河の一部がかけて海に落ち、氷山になる。それら山のように巨大な氷山が、静かに、しかし確かに同じ方向に移動している。
(中略)
言葉にすると陳腐ですが、水は生きていると実感しました。
その巨大な循環の中で、人間存在のあまりの小ささに、打ちのめされています。
*2
それはグールドに導かれるようにして赴いた地の果てで聴かされたこの星が発する至上の歌だったといえるかもしれない。地球から坂本龍一に伝えられたあまりにも重たい内容の遺言...。
グールドの演奏に触発され、新しいアルバム『out of noise』を制作している時に録音したが、結局アルバムには収録されなかったという曲「concerto no.3 in d minor after alessandro marcello, bwv 974 II. adagio」*3を聴いていると、坂本龍一の北極圏への旅は、グールドの魂(音楽)の果てへと赴く旅でもあったのかと想い至る。
ちなみに、坂本龍一の北極圏への命がけの探検といってもいい旅は、David Buckland が2001年に気候変動に対する文化的反応を惹起することを目的に創設した Cape Farewell(「別れの岬」)という意味深長な名前の慈善団体による企画の一環である。2008年のディスコ湾(Disko Bay)探検には世界中から著名なアーティストや科学者が参加した。Cape Farewellの詳細は以下で。
2008年のディスコ湾(Disko Bay)探検に関しては参加者による記録がある。
参加者の中にはローリー・アンダーソン(Laurie Anderson, 1947–)の顔も見える。グールドが愛用していたのと同じ鳥打ち帽(hunting cap)を被って北極圏の声を「狩る」坂本龍一の姿は印象的である。
*1:ryuichi sakamoto, playing the piano 2009 _out of noise, tour book1 dialogue, "on gould"
*2:ryuichi sakamoto, playing the piano 2009 _out of noise, tour book4 photos/greenland
*3:ryuichi sakamoto, playing the piano 2009 _out of noise, tour book cd disc1, 01