抜海岬の奇岩

羽幌(はぼろ)を発ち、232号線を北上し、天塩川の河口で「挨拶」を済ませてから、天塩町で内陸に折れる232号線に別れを告げ、日本海岸沿いの道道106号線(稚内天塩線)をさらに北上した。


いよいよ稚内市域に入ろうとするところで、「抜海(ばっかい)」という変わった名前の小さな岬が視界に入って来た。近づくにつれ、その尖端近くに鎮座するチョンマゲのように見える奇岩が気になりだした。抜海岬の裏に回って振り返ると、その奇岩のすぐ傍に神社(未詳)が建っていた。なんと、シュールな景観か。

その夜読んだ司馬遼太郎の『オホーツク街道』(asin:4022641363)にこの奇岩にまつわる「別海」という名の由来が書かれていた。

 丘陵の上が大岩になっており、その大岩に小岩が載っている。ちょっとした奇観である。
 抜海の地名はこの岩からきた。山田秀三の『北海道の地名』では、パッカイ・ペ(子を・背負う・もの)からきたのだろう、という。
 アイヌの伝説がある。
 丘のそばの掲示板に書かれている。
 いつのころか、この地の天塩アイヌが、宗谷アイヌと戦争をしたのだそうである。
 そのとき礼文アイヌが天塩アイヌと同盟をし、礼文島代表として一人の勇ましい若者がやってきて、この地のアイヌの美しい娘と恋をした。子もなした。ところがこの若者は礼文島が恋しくなって、島へ帰ってしまった。
 なげいた若い母が子を背負ってこの丘に立った。
 夫のいる礼文島が見える。なげくうちに、岩になったというのである。

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