Sud

やっと春本番という時に、敢えてというわけではなく、自然と北へ向かった。宗谷にいる間、札幌は遥か遠くになぜかつかみどころのない都市として感じられていた。これからそこに帰るという実感がなかなか湧かなかった。私はまだ十分に「北」に来ていない? でも、私にとっての「南」はどこなのか。樺太に渡る日がいつか来るだろうか。奄美には、あるいはカリフォルニアへは、また行くだろうか。札幌に戻って来て数日たった今も自分の中の羅針盤の針が激しく動いているのを感じる。私はどこに帰ってきたのか。とりあえず、北からの帰還の行程を記録しておこう。


宗谷岬を後にして、オホーツク海岸道路(国道238号線)を猿払村まで南下した。もう少し南の浜頓別にあるラムサール条約の保護区に指定されているクッチャロ湖を見たかったが、時間の都合で諦め、次回の楽しみにとっておくことにした。


猿払から豊富猿払線(道々138号線)にのって内陸に入り、周氷河地形として知られる通称「宗谷丘陵」を横断して、サロベツ原野の東側を掠めるように国道40号線を南下した。サロベツ原野の向こう側、日本海に浮ぶ利尻島のまだ雪を残す利尻岳(1721m)の威容が蜃気楼のように大気中に浮んで見えていた。



その後、しばらくは日本で四番目に長い川である天塩川(256km)を遡るようにして走った。ちなみに、日本最長の川は信濃川(367km)、二位は利根川(322km)、三位は石狩川(268km)である。ペンケウブシ川*1 やパンケオポッペ川*2 などアイヌ語由来の愉快なカタカナ名をもつ支流にも出会うことができた。複雑に蛇行したかつての天塩川の流れが千切れて出来た、三日月や馬蹄の形をした沼も数多く見た。それらの水面は新緑の中で輝いていた。昼飯には幌加内蕎麦を予定していたが、空腹に負け、手前の音威子府(オトイネップ)の道の駅に入っている食堂に寄った。名物だという珍しい黒い蕎麦を食した。珍味だった。音威子府を出て、美深で国道275号線にのったところで、天塩川に別れを告げた。


その後、冬期の最低気温がマイナス30℃を下回る道内でも最も寒冷な土地にある朱鞠内湖に立ち寄った。朱鞠内湖は非常に複雑な形をした人造湖で、日本最大の湛水面積をもつ。未だ少し雪渓の残る湖畔から湖を眺めていると、空気が非常に澄んでいるからか、ここは日本ではなく、シベリアにでも来ているような不思議な気分になった。朱鞠内湖を後にして、雨竜川と絡み合うように走る40号線を、雨竜沼湿原暑寒別岳を右手に感じながら、南下した。札幌市域に入る頃には午後8時を過ぎていた。

天塩 てしお

テシ・オ・ペ(梁・多い・川)

梁の姿の岩があった処から天塩の名がついたものらしい。

 (山田秀三『北海道の地名』137頁)

*1:「上流・トドマツ・群生するところ」という意味。

*2:下流・川尻・小さい・川」の意味。