Grandfather's Journey


Grandfather's Journey (CALDECOTT MEDAL BOOK)


ある英語の絵本(写真上)を同僚の山内さん(数学寺子屋主催者)が薦めてくれた。この絵本のことはまったく知らなかった。私のつたない道北紀行を読んだ山内さんは、その底に流れているかつてサハリンで暮らした今は亡き祖父母と父のサハリンへの思いに重なる私の思いや私なりの「故郷論」の萌芽のようなものを感じとって、この絵本を遠く連想したようだ。早速、図書館で借りた。この絵本と一緒に並んでいたアレン・セイの他の絵本(写真下)も借りた。大島英美訳『おじいさんの旅』(ほるぷ出版、2002年、asin:4593504163)はなかった。

アレン・セイAllen Say, 1939–)の Grandfather's Journey(Houghton Mifflin, 1993)は、1994年にアメリカで最も優れた絵本に贈られるカルデコット賞(The Caldecott Medal)を受賞した絵本である。


アマゾンの商品紹介に翻訳者大島英美さんの次のような紹介文が掲載されている。

本書は著者の自伝的3部作のうち、カルディコット賞受賞作であり、最も多く版を重ねている作品である。アメリカで多文化教育が盛んになるきっかけにもなった、教育者の間ではつとに有名な本だが、著者は「教育的」な本になるなどとは夢にも思わなかった。商業的にも、果たして絵本になり得るか、本人も懐疑的だったという。著者が表出せずにはいられなかった「祖父」のこと、すなわち、戦前、日本からアメリカに渡り、戦争勃発で帰国、そのまま再渡米を夢見ながら日本で亡くなった彼の2つの国への思い、「日本にいればアメリカを思い、アメリカにいれば日本を思う」という相反する感情は、日本で生まれアメリカに移民した著者自身の、まったく「個人的な」ものでもあったからだ。
ところがこの「個人的な」感情は、すっぽり「アメリカ的」感情と重なった。国籍と民族にまつわる、普遍的テーマとなったのである。アメリカは、大多数の「どこか系」アメリカ人(アフリカ系など)と少数の先住民が作る国。国籍はアメリカでも、民族、文化はまちまちだ。その、普段は意識していない、自分の属する文化に対する愛惜の念が、本書との出会いによってあらわになり、多くのアメリカ人(成人たち)の心を熱くした。

本書は、「単一民族」と意識しがちな日本人には一種「踏み絵」的要素を持つ、危険な本でもある。読み手の想像力と感受性の有無が明らかになるのだ。他民族への想像力、外国で生きることへの想像力、そして他者の痛みに対する感受性の踏み絵である。

たとえば暗くした部屋で、家族の思い出のスライドが次々と、白い壁に写し出されていく。ほんのり色がかかった頼りなげな光源が写像をちらつかせる…。スライド写真を居間で見るときのそんな懐かしさがこみ上げてくる本でもある。淡々とした語り口にさらに耳を澄ませば、人間愛がしみじみと、通奏低音のように響いてくる。

 Amazon.co.jp:Grandfather's Journey: Allen Say: 洋書

なるほど。


声を出しながら一回ゆっくりゆっくり読んでみた。感動した。深く共感した。二つの点で。一つには、「国家」や「民族」や「文化」のレベルの話としてではなく、もっと具体的な、実際に生活する土地とそこで交流する人々への思いというレベルの話であるという点で共感した。そして、もうひとつは、大島さんのいう「日本にいればアメリカを思い、アメリカにいれば日本を思う」という言葉、原文では "The funny thing is, the moment I am in one country, I am homesick for the other." (p.31)からも読みとれるように、著者のアレン・セイは、人間にとっての「故郷(home)」というものは、そこにいるときではなく、そこから離れたときに、そこに「帰るべき場所」として心の一番深いところから切ない感情とともにじわーっと湧いてくる生々しいヴィジョンにほかならないと考えているに違いないという点で共感した。

この絵本を離れて、アレン・セイという人の生きざまに興味が湧いた。日英のウィキペディアに載っている経歴だけからでも、彼の数奇な運命を窺うことができた。Grandfather's Journey に静謐なトーンのシンプルなスタイルに昇華された人生観の裏には自分の力ではどうすることもできない大きな力に翻弄された一人の男の複雑な実人生がある。アレン・セイの公式出版サイトで、インタビューに答える彼の深く暖かい声を聞いた。よかった。

Official Publisher's site for Allen Say

素晴らしい絵本との思いがけない出会いだった。