長崎曼荼羅―東松照明の眼1961~ (長崎新聞新書 (016))
長崎新聞社が出している長崎新聞新書016が本書『長崎曼荼羅 東松照明の眼1961〜』(2005)である。コンパクトながら、東松照明という写真家の神髄が伝わってくる良書である。東松照明は写真もよいが、その生きざまもよい。中央の大手からでも出せるだろうに、地方の新聞社から新書を出すところがよい。長崎を写真で引き受けただけでなく、「終の住処」として人生全体で引き受けた人の心意気を感じる。しかも、それを「長崎に恋をした」と言ってのける。なんてかっこいいんだ。坂の多い長崎の町を上り下りしながら毎日マバタキするように写真を撮り続ける東松照明の「町歩き」に深く共感する。写真を撮るという行為がその人の日常生活の中にどのように組み込まれているのかに興味がある。とはいえ、そもそも長崎を終の住処と思いさだめ居を移し、「長崎に恋をした」と言ってのける飄々として穏やかな表情の裏には、苦海を浄土となすような強靭な意志を感じる。写真に生命を吹き込むのは、技術ではなく、生き方だと改めて実感した。東松照明の「町歩き」に関する具体的な記述を引用する。
写真漬けの毎日である。
およそ三〇年前、私は沖縄の宮古島に住んでいて、「林子平の”六無斉”ではないが、親もなし、妻なし子なし家もなし、金もなければ死にたくもない。唯一写真だけが、長年連れ添った女房のごとく、私に貼り付いている」と書いた。
現在は、終の住処といえる長崎に居を移し、妻もいれば家もある。(195頁)
私にとって写真は、表現の手段というより、生活のなかに組み込まれた日常性とでもいうか、シャッターを切ることは、マバタキに近い身体感覚なのだ。(195頁)
私は、カメラを一台肩から下げ、フィルムを二、三本ポケットに入れて歩き始める。歩く町筋を何となく思い描きはするけれど、目的があるわけではなく、ましてテーマなんぞない。当てどなくさまようのである。(196頁)
町歩きは、写真するものが示す、きわめて重要な行動パターンなのである。画家がデッサンを重視するように、否それ以上のウェイトをかけて写真家は町歩きをするのである。(198頁)
町歩きが写真のすべてという写真家さえいる。私の場合、大づかみではあるが、これまで五十年間に撮ってきた写真の約七割が町歩きから成っている。それらの写真は絵画における下絵とは異なり、ぶっつけ本番なのだ。(199頁)
長時間の町歩きに備えて紐靴を選ぶ。ウォーキングシューズは、その日の気分でリーボック、ニューバランス、GTホーキンスから選ぶ。カメラはキャノンかコンタックスを持ち歩くことが多い。一台しか持たず、レンズは35ミリのみ。交換レンズはほとんど使わない。(199頁)
私はなで肩だからカメラの持ち歩きに苦労する。ストラップが肩で止まらないのだ。歩きの先輩である石元泰博さんは、背広の肩にボタンを縫いつけてカメラの滑り止めにしている。なかなかのアイデアとは思うが、美観を損ねるゆえ、私の取るところではない。私はストラップの長さを短くして、カメラを脇で固める。(200頁)
頼まれたわけでなく、断りもせず撮るのである。まことに手前勝手な写真行為と言わねばならない。だから私は、少しでもお返しできればと思い、撮った人に写真を届けるように心がけている。(206頁)
参照
- 東松照明の世界(INTERFACE)
- 東松照明(富士写真フイルム)
- 東松照明(長崎県美術館コレクション)
- 林子平傳現代語訳(「蟄居を仰せ付けられてから、子平は『六無の歌』を作った。『親も無し、妻無し、子無し、板木無し、金も無けれど、死にたくも無し』そして「六無斎主人」を雅号とした。)