平安の細い糸

……風景の中で起きる些細な出来事に心を奪われるとき、人はいっとき思い煩う心や孤独から解き放たれ、世界と自身とが平安の細い糸でつながっているような安寧(あんねい)を覚えるものだ。

 藤原新也『風のフリュートasin:4087473864

小津安二郎は人生は儀礼的、慣習的行為の反復を軸にそこから少しずつズレてゆく過程であり、最後には二度と反復することのできない出来事すなわち死に至るという人生観を抱いていたと吉田喜重は随所でやや強調して語った。たしかにそうかもしれない。が、その反面、人生では「心を奪われる」ような二度と反復されない「些細な出来事」も起きる。しかも、それは稀なことではなく、心がけ次第では人生はそのような出来事に満ちあふれていることを知る。毎朝散歩で多くの「些細な出来事」に心を奪われる。藤原新也のいう「平安の細い糸」は電線か蜘蛛の巣のように張り巡らされてゆく。蜘蛛女ならぬ、蜘蛛爺、、。