生と死の輪舞


西蔵放浪 (朝日文芸文庫)

西蔵放浪 (朝日文芸文庫)


「人間として退化した今を持った一日本青年が、過去に向かって人間としてより進歩的である彼らの今の海の中に自己投入した、小さな記録である」(10頁)という藤原新也西蔵放浪』を読んでいたら、先日初めて知った「妙音鳥(カラビンカ)」の話がでてきて、興味深かった。

藤原新也が二十代初めにインドで出会ったツリン・タンドールという名のひとりのチベット難民の男が語ったある話の中に妙音鳥(カラビンカ)が登場する。その男は乞食同然の生活をしながらもその語り部としての才能によってとある居酒屋では人気者であり、いつもタダで酒にありついていた。そんな男の騙りには追われた故郷の記憶がまるで生と死が輪舞するごとく悲劇の相と喜劇の相とが複雑にもつれあうように織り成されていた。そんな男の話に耳を傾ける藤原を含めた他の孤独な男の客たちもまた、そこに己の故郷の記憶を重ねた。

昔々、その男はある必要から件の妙音鳥(カラビンカ)を捕らえに行った、という。その部分はこう続く。

鳥の名……妙音鳥(カラビンカ)といって、西蔵チベット)の山中に、これもまたまれに見かけられるという。その名が示すように、この小鳥の鳴き声は絶妙なのである。男が言うには、この地上、三千世界のあらゆる音楽、ひとの歌、鳥雀のさえずり、獣の咆哮、自然の音、そして鐘の音、そしてまた、いかなる高僧の念ずる読経の声音……それら一切のもの音を通じて、この妙音鳥の声音を凌駕するものはないのである。そして、この妙音鳥の声音が放たれる時、地上一切合財のもの、つまり人畜禽獣から昆虫の部類に至るまで、一切の衆生は黙し、それに耳をかたむけ、流れる小川のさざめき、風の音、木々の葉鳴りはやみ、流れる雲や星、落ちる雪や石は、そこにとどまり、死にゆく一切の衆生の内に宿る死神でさえその働きをやめ……世界のすべてが、その運行をとどめたまま、深い沈黙の漂う中で、妙音鳥の、そのいかなるものより尊い声音に聞き入る。
 そして、その尊い小鳥が、半日も鳴き続け、やがてそのさえずるのをやめた時、再び世界は、あたかも太陽が宇宙を、地が太陽を、月が地を、ヒトが仏を、牛が畑を、虫が花を周り回るように、そして衆生が生と死の輪を周るように、世界の一切が、巨大な法の車輪のように、ゆっくりと回り出す。(45頁〜46頁)

素晴らしいイマジネーションだ。漢字では「音」を閉じ込めて「闇」と書くが、実際の闇はむしろ音の世界を開く。闇のような社会の中でも、進歩や効率の観点からのみとらえられがちな種々の時間的イメージを封鎖あるいは打破することによって、別種の時間、聴いたことのない「音楽」が流れ出し、世界は笑いながら踊り出す。そのとき、花と戯れているように見える吸蜜する蝶の姿、野鳥のさえずり、そして花や草や枝葉が風に揺れる様子などが一瞬の浄土を顕現させもする。それだけで充分に生きられる、死ねる。生と死が融け合う。男の話は全体としては辻褄の合わないところだらけだし、脱線することも少なくないのだが、このような核心をなすヴィジョンがもたらすエモーショナルな何かに孤独なオーディエンスたちは皆心を寄せ合い通い合わせるのだった。


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