死のレッスン


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藤原新也は24歳で初めてインドを放浪したとき、バングラデシュの難民キャンプで看護婦グリアが我が身の安全を顧みることもなくコレラで死にかけた子供にすでに無駄とも思える人工呼吸を執拗に施し続けるという彼の理解を越える現場に遭遇した。その後、彼女の捨て身の行為の意味、そしてそもそも彼女の安否を確かめるために彼女が勤めていると聞いたカルカッタの癩救済病院を訪ねた。彼女の死については明言されていないにもかかわらずそれを直観すると同時に彼女の死が明言されることに意味はないことに著者と読者は気づくことになるように話は進行する。われわれは病院で応対してくれた看護婦長マンジュールによって図らずも日本人が見失った<死>のレッスンを受けることになる。そのマンジュールの言葉。

 しかし、医術は人間の科学の領域のものです。
 あなたは、科学では解決のつかない問題が人間にあることを知っていますね。
 ……死です。
 死を迎えた時、人はその人間の科学の領域を踏み出します。医術でできることの領域を越えるのです。その時、人間の命は、人間の手でなく、より大きなものにゆだねられています。


(中略)


死を救うことはできませんが、死の状態を救済することはできるのです。つまり、誰かの上にやってきた死が、意味を会得する手助けをすることはできます。


(中略)


それは単純なことです……たとえば、あの母に先立たれた、幼い子供の直面した死の状態の中に渦巻く、孤独と、いくつかの恐怖と、いくつかの苦しみや迷いを遠ざけ、いくつかの安寧を与えてやることは可能なのです。それは大きなものの流れに人為を加えて逆らうことでなく、その大きなものの流れの中心のほうへと、その流れつつある人を押やる手助けにすぎません。


(中略)


そうです。グリアは子供の死の状態から、迷いと孤独と苦痛を剥ぎとり、その死に意味を与えようと務めたのです。
 人間というものは不思議なものです。いかなる人間の科学や医術によっても救出することのできぬものを、たったそれだけの人間の単純な行為によって救出することができるのですから……


(中略)


グリアがもし死にとらわれたとして、その状態を救い、意味を与えることができるのは、彼女が、あの子供によって救われたという認識と実感の上に立つことができるかどうかに関わっています。
 つまり彼女は子供を救おうとしたと同時に彼女自身が救われようとした存在でもあります。そのことを本当に知り得ているなら、彼女の死は孤独でもないし、不幸でもなく、苦しみでもありません。


(中略)


……たとえば、この私も、またグリアも、私の目の前に救いを求める人々があって生きる意味を与えられているのです。私たちは、彼らによって生きることを救われています。つまり、私は彼らによって私の生きることを発見させられるのです。
 だから、もし、それによって私たちが命を落とすことがあれば、それは生きる上での最大の救いでしょう。
 救うものが大きければ大きいほど、私たちにとって救われるものも大きいのです。なぜなら、彼女は、その死によって、自分の生を最大限に救ったのですから。彼女は自分の生と死の両方に意味を与えることができたのです。死という、最も重い労働を与えられた歓びは、死の苦しみよりも大きいのです。
 ですから、グリアがもし命を落としたとしても、その彼女の死の状態を救い、その死に意味を与えてくれるものがあるとすれば、それはあの子供に他なりません。子供はその死という最も重いものによって彼女の生と死の両方を救ってくれたのです。


(中略)


私たちの、この病院では、救うとか、助ける、という言葉が用いられることはほとんどありません……。その言葉の使用を別に禁じているわけではないのですが……。
 誰もが自然とそのような言葉を使わなくなるのです。死を目前にしている人の前ですこしでも永く働くようになると、そのような言葉が不自然なものであることがわかってきます。それで、新しく入ってきた若い人が、<人を救いたい>という言葉を最初に持ってきますが、誰が何を教えたわけでもないのに、そのような傲慢な言葉は、誰もがいつの間にか忘れてしまうのです……。ここで働き続けながら、すこしずつ、本当は自分が救われている、というその単純な事実に気づき始めるのですね……。


(中略)


……私たちは、今、グリアが生きているか死んだかというようなことが、この問題を語る上で意味を持たない……ということを話し合ったではありませんか。

 藤原新也『東京漂流』162頁〜170頁


藤原新也は、マンジュールの言葉に、自分の母親の屍が納棺されるときにやって来た伽僧(とぎそう)が唱えた死者の魂を導く枕経(まくらぎょう)を思い出し、何かを飲み込めたように思ったという。