『風の旅人』 16号 - FIND the ROOT 「世界」と「人間」のあいだ - HOLY PLANET
他人事のように実体化されがちな歴史にサヨナラを告げて、親密な語りに積極的に巻き込まれながら、ぼくらは日々刻々と歴史する(doing history)存在なのだ、と主張した今は亡き特異な歴史学者・保苅実(ほかりみのる, 1971–2004)さんの声をひさしぶりに聞いたような気がした。『風の旅』のバックナンバーに目を通していて、16号に掲載された保苅実さんの懐かしいテクスト「歴史する身体と世界の歴史」に目がとまった。しかも、「SANCTUARY AYERS ROCK」と題した本橋成一さんによるアボリジニの聖地であるエアーズ・ロックの神話的光景の写真12枚が、保苅さんのテクストと響き合うように、絶妙に編集されていた(35頁〜51頁)。まるで、オーストラリアの先住民アボリジニの世界を記録する保苅さんの言葉に、本橋さんの写真がこの上なく相応しい調べを奏でているかのように感じられた。「歴史する身体と世界の歴史」は保苅さんの遺作『ラディカル・オーラル・ヒストリー オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』(お茶の水書房、2004年)からの抜粋である。彼は、言葉の大伽藍のような新約聖書的世界にアボリジニの身体の延長のような移動的世界を対置した。
周知のように、そこ[ヨハネによる福音書]では次のように記されている。「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。この言葉は、はじめ神とともにあった。万物は言葉によって創られた。創られたもので言葉によらずに創られたものは何一つなかった」。この表現を援用して、ドリーミングによる世界創造を表現するなら、次のようになるだろう。「はじめに移動があった。移動はドリーミングとともにあった。移動はドリーミングであった。この移動は、はじめドリーミングとともにあった。万物は移動によって創られた。創られたもので、移動によらず創られたものは何一つなかった」。キリスト教の神が「言葉」によって世界を創造したのに対し、アボリジニのドリーミングは「移動」によって世界を創造したのである。(74頁)