老後の花

佐野眞一『大往生の島』(asin:4167340062)で最も印象的な言葉のひとつは、周防大島東和町で言い伝えられているという次のような痛快な人生の見取り図である。

 この町では、五十、六十は洟たれ小僧、七十、八十は働き盛り、八十をすぎてやっと老人の仲間入り、といわれている。


まだ「洟たれ小僧」だった佐野眞一はこの言葉を噛みしめながら、潔く悲しく幸せに生きる島の老人たちの話に耳を傾けたのだった。


実は、ナミイおばあのテーマソングであるという、沖縄民謡「老後の花」の歌詞がそれとぴったり重なる内容であることに驚いて、感動した。

五十、六十が蕾なら 七十、八十は花盛り
私の人生これからと 希望の花を咲かせましょう


むかしむかしの物語 枯木に花が咲いた時
歳はとっても心意気 希望の花を咲かせましょう


心に光あるならば 日々が楽しく人生を
九十、百歳楽々と 花に輝く人生さ

「老後の花」ナミイの唄(「沖縄最後のお座敷芸者ナミイの人生歌い語り」)


こんな痛快無比な「老後の花」を熱唱するナミイの姿をドキュメンタリー映画『ナミイと唄えば』(asin:B000LV6MLO)で観ることができる。当時85歳のナミイおばあが歌うと、この歌詞にはもの凄い説得力と迫力が生まれ、その渦巻くような生きるエネルギーに圧倒される。そして「老人」とか「老後」という言葉でイメージされがちな暗い世界にそれこそ「花」が咲く。


未熟さにすぎない「若さ」や「幼さ」をもてはやすあまりに、成熟であるはずの「老い」を衰えの一面でしか見ることのできなくなってしまったところに、この国の未熟さが如実にあらわれている気がする。「老い」が死ぬまで続く成熟の過程として尊重される世界はもはや妄想にすぎないのだろうか。