十年後の「大往生の島」を訪ねた私は一体何を期待し、何を見ようとしていたのだろうか。時間に追い立てられるように殺気ばしった表情で先を急いで小走りする人間の溢れる東京から一転して、正反対の、時間の流れが止まったような島にやってきた。松本昭司さんとお父さんとの出会いが大きかったからか、短い滞在の間に、寂しいと言えば寂しいが、虚しくはまったくなく、浄められてゆくような感覚、裸になったときの清々しさのような感覚が体に広がっていった。頭ではつかみきれない大きな地平に心が解き放たれてゆくのを感じていた。改めて自分の生活も含めて都会生活の集団的狂気を痛感させられた。その狂気との消耗戦を思うと、個人の生の根っこが暗闇の中で萎えて腐ってゆくイメージが浮ぶ。とはいえ、もちろん、島での生活は楽ではない。自然の変化に大きく左右される分、都会よりも厳しいとさえ言えるだろう。だが、松本さんを見ていると、島の生活におけるどんな苦労も、変な言い方だが、苦にならない、むしろ楽しめてしまう、そんな様子だった。根っこが明るい海の方に伸びていて丈夫な感じ。根が明るい。腹の括り方が深い。翻って、札幌での自分の暮らしを思う。結構がんばってる部分もあるが、捨てようとして捨てられない部分がたくさんある。まだまだ根が暗い。腹の括り方が浅い。
沖家室島と周防大島で撮った写真の一部をざっくりと整理した。リンク先のフォルダで他の写真を見ることができます。