北方の白い微笑

森崎和江さんは何度も北海道を訪れて、その自然と風土に強く惹かれ、住みたいとも思ったが、結局、そうはしなかった。できなかった。四半世紀前に(1984年)、森崎和江さんは、快適な場所にはとどまることはできない屈折した思いと、北海道が好きな理由について次のように記している。

 北海道は幾度となく訪れていて、誰もが感じているように私も、ここの自然に心ひかされ、できることなら住みたいと思う。すこしくらい熱がある体調のときでも、冬のきびしい空気を吸い込むと、微熱は消えていくほど私にはこのひろびろとした空間と冷気とが、心と体の調子に合っている。
 それでいて、自分にとって快適な場所にとどまれない屈折した思いが、私にはある。これは、もう、仕方がないと思っている。その屈折した思いは、快適な場所にこもっていた他人のかなしみを、無視し、踏みつけて生きた植民地体験に由来している。
 私の旅は、いつでも、それの昇華を求める道行であるらしく、我を忘れて自然と遊んだあとは、きまって、寝付かれぬ夜がくる。幾度かの北海道の旅の中で、松前半島めぐりを選んでここにまとめたのは、この半島が、我を忘れて遊ぶほどゆたかに、四季折々の北国の表情を持つわけではなく、むしろ、遠い昔からここばかりは本州の飛地のように、手垢にまみれているからである。
 名もない人びとの手垢の跡は、降りつもった落葉のように、はかなく、そして、ぬくもりがある。それに私も手をふれながら、自分のよみがえりを願う。
 この半島の北に、日本にはめずらしい視界をみせて北海道の大地がひろがっているのだが、けむるような光の中の原野が目に浮かぶ。吹雪が舞っていたおそろしい光景が思い出される。落葉樹林の鼓動が聞こえる。流氷が輝いていた一面の白の世界。そして、それらの中で、人びとはみなやさしくみえた。人間というものの限界を知っている表情だった。あの表情は、ほかの地方では見ることがない。
 私が北海道が好きなのは、広大な視野の中に、ぽつぽつとたたずむ人びとの、あの蟻ん子めいたまなざしに会えるからだろう。何か、気負いこんで暮らす私たちを、北方の白い微笑でじっとみつめるように思われて、思わずほっと息を吐く。
 もし、私が幾年か北海道で暮らすことができたなら、私にもあの表情が育つのだろうか。欲しいなあと思う。

  森崎和江津軽海峡を越えて」(『精神史の旅 4漂泊』205頁〜206頁、asin:4894346737


自分自身はもとより、自分が暮らす土地の独自性ほど分からないものはない。惰性と当たり前の中に埋没している。四半世紀後の北海道に暮らす私にとっては、「人間というものの限界を知っている表情」も、「蟻ん子めいたまなざし」も、「北方の白い微笑」も無縁のような気がする。むしろ、はるか南の沖家室島で会った松本昭司さんとお父さんにそのような表情を見た気がする。自分には限界を知らぬ傲慢さ、凶暴な眼差し、どす黒い嘲笑の方が似合いそうだ。森崎和江さんが北海道で感受した人びとの独特の表情や心性についての言葉は、今ではすでに失われた、遠い過去の話のように聞こえる。でも、もしかしたら、それらはこんな自分の中にも降り積もった落ち葉に埋もれ隠れるようにして眠っているのかもしれないとふと思った。甦ることはできるだろうか。「北方の白い微笑」を育てることはできるだろうか。無理だろうな。